【文学】明治文学の金字塔・尾崎紅葉『金色夜叉』こんなにひどいシーンだったの!?その意味とは
有名な「貫一お宮」の像って?『金色夜叉』のあらすじ紹介
筆者、『金色夜叉』あらためて読み……頭を抱えました。こ、このDV男!名前だけは有名な「貫一お宮」がまさか、ここまで身勝手な男の残酷な暴力だったとは。これに関しては記事内で詳しく扱うとして、まずは「貫一お宮の像」について解説をしていきましょう。そしてこの「お名前だけはかねがね」という作品のあらすじも、ご紹介。
【最初に】婚約破棄でブチ切れた貫一青年、お宮を蹴り飛ばしまくる「名シーン」をご紹介
「それぢや断然お前は嫁く気だね! これまでに僕が言つても聴いてくれんのだね。ちええ、膓の腐つた女! 姦婦」
その声とともに貫一は脚を挙げて宮の弱腰をはたとたり。地響して横様に転びしが、なかなか声をも立てず苦痛を忍びて、彼はそのまま砂の上に泣伏したり。貫一は猛獣などを撃ちたるやうに、彼の身動も得為ず弱々と僵れたるを、なほ憎さげに見遣りつつ、
「宮、おのれ、おのれ姦婦、やい! 貴様のな、心変をしたばかりに間貫一の男一匹はな、失望の極発狂して、大事の一生を誤つて了ふのだ。学問も何ももう廃だ。この恨の為に貫一は生きながら悪魔になつて、貴様のやうな畜生の肉を啖つて遣る覚悟だ。富山の令……令夫……令夫人! もう一生お目には掛らんから、その顔を挙げて、真人間で居る内の貫一の面を好く見て置かないかい。長々の御恩に預つた翁さん姨さんには一目会つて段々の御礼を申上げなければ済まんのでありますけれど、仔細あつて貫一はこのまま長の御暇を致しますから、随分お達者で御機嫌よろしう……宮さん、お前から好くさう言つておくれ、よ、若し貫一はどうしたとお訊ねなすつたら、あの大馬鹿者は一月十七日の晩に気が違つて、熱海の浜辺から行方知れずになつて了つたと……」
宮はやにはに蹶起きて、立たんと為れば脚の痛に脆くも倒れて効無きを、漸く這寄りて貫一の脚に縋付き、声と涙とを争ひて、
「貫一さん、ま……ま……待つて下さい。貴方これから何……何処へ行くのよ」
貫一はさすがに驚けり、宮が衣の披けて雪可羞く露せる膝頭は、夥く血に染みて顫ふなりき。
「や、怪我をしたか」
寄らんとするを宮は支へて、
「ええ、こんな事はかまはないから、貴方は何処へ行くのよ、話があるから今夜は一所に帰つて下さい、よう、貫一さん、後生だから」
(尾崎紅葉『金色夜叉』より引用)
金色夜叉 (新潮文庫)
Amazonで見るお宮に対して逆ギレする貫一、その背景とは
衝撃のこのシーン。「『金色夜叉』は貫一って人がお宮ちゃんを蹴り飛ばすっていうのだけ知ってる」方もいらっしゃるのではないでしょうか。文体が複雑で把握しづらい方のために解説をすると「婚約破棄されてブチ切れた貫一青年に、血が出るまで蹴り飛ばされるお宮ちゃん」というのがこの場面です。ここに至るまでの経緯を解説しましょう。
高等中学校の生徒・間貫一(はざま かんいち)。孤児である彼が奇遇している家の1人娘・お宮。2人は婚約者の関係にありました。しかし美貌のお宮を見初めた大金持ちの男がいます。300円という高額のダイヤモンドの指輪を見せびらかすほどの富豪である、富山唯継。お宮の両親は貫一に因果を含めて、貫一とお宮の結婚を破談とすることにしました。貫一はお宮に詰め寄ります。その「犯行現場」が、静岡県は熱海なのです。
フラれた程度で弱腰の女を、血が出るまで蹴り飛ばし続けるなどどこからどう見てもクズ男。こんなDV男結婚しなくて正解だ、お宮ちゃん!それはさておきその後、お宮は「300円ダイヤモンド」の男こと富山のもとへ嫁いでいきます。貫一は高等中学校や、奇遇先のお宮の両親のもとも去ることに。そして高利貸として人生をはじめるのです……。
お宮にフラれて高利貸となった貫一と、彼を忘れきれないお宮
高利貸として第2の人生を開始した貫一(作中では、高利貸に「アイス」というルビが振ってあります)。高利貸の鰐淵(わにぶち)のもとへ手代(従業員のこと)として勤めることに。貫一に惚れてストーカー同然にまでなる、満枝という女性に粘着されながら、冷血で鬼のようにこの稼業に精を出します。自分を裏切って金のために別の男に嫁いだお宮、そして金権主義へのあてつけの意味もありました。
そんな中、彼はお宮と偶然、ニアミスをします。美しい若奥様となっているお宮。彼女はかつての婚約者にして恋人・貫一を忘れきれず、夫を愛せない日々を送っていました。貫一は客の怨みが原因でリンチに遭遇。そしてやはり貫一の雇い主である鰐淵も、放火が原因で命を落とします。
貫一のもとに詫びの手紙を何通も送ってくるお宮。その彼女が彼のもとに来訪し、ある壮絶な形で破滅する「夢」を見ます(まさかの夢オチ)。その後貫一はお宮の悔悛の手紙を読み、後悔することとなりました。そしてお宮の夫である富山に破滅させられそうになっているカップルに手を貸すことに……と、貫一のその後が消化できないままで、本作品は未完です。
「金色夜叉」の時代背景って?
そんな、逆ギレDV野郎・間貫一が人びとから喝采を受けたのはどうしてでしょう?ジェンダー問題やフェミニズム問題がまだまだ未発展だった頃とはいえ、いまいち解せません。何事も時代背景や作者の事情を鑑みて読み解くのが、古典を味わうコツ。貫一お宮、ひいては尾崎紅葉の生きた明治とは、一体どういう時代だったのでしょうか?また『金色夜叉』を美しく艶やかに見せる、雅俗折衷体という文体はどのようなものなのか?解説していきましょう。
作者・尾崎紅葉の生きた時代「明治」とは?
作者・尾崎紅葉は江戸時代の落陽である慶応年間に生まれ、『金色夜叉』が連載を終えた翌年の明治36年に胃がんで死去。病弱であったものの非常に優れた「先輩」で、泉鏡花や田山花袋、徳田秋声など明治期を彩る綺羅星のごとき弟子たちを門下生として持ちました。
冒頭に掲げた本文を読んでいただいた通り、むずかしい!読みづらい!と現代人の我々の多くが挫折する「雅俗折衷体」と呼ばれる文体。当時は言文一致体がまだメジャーになりきっているとは言えない、日本近代文学の黎明期。二葉亭四迷が『浮雲』で言文一致体を確立したのが明治20年。尾崎紅葉のこの『金色夜叉』が連載されたのは、明治30年~明治35年です。まだまだ日本文学は模索期だったのですね。この『金色夜叉』の雅俗折衷体は非常に美しく、三島由紀夫も絶賛しています。
率直に言ってこの『金色夜叉』、未完だけあって全容がつかめません。読書慣れしている筆者も「グダグダ書いてるなぁ」というのが最初の印象でした。読み進めるにあたっては、そのグダグダ感を楽しむ覚悟が必要です。しかし文章は文句なしの美文、現代人には逆立ちしても書けない、古く良き日本の文学の味わいがあります。
「恋」が罪だった明治時代の女の描き方
さて貫一とお宮のドラマが繰り広げられたのは、ちょうど日清戦争のころです。記事冒頭で引用した本編の中でも貫一は、いえ貫一のみならず彼の友人たちまでもが、「淫婦(いんぷ)」「姦婦(かんぷ)」とお宮を罵ります。富山と、両親の同意のもと合法的に結婚したお宮。この時代は家と家同士の結婚ということが社会の共通認識です。家長の許可がなければ入籍ができない法律でした。貫一がムリを通しても、お宮とは正式な結婚すらできなかったでしょう。
それにも関わらず、貫一はお宮を正当な妻として捉えていたのです。やはりこの辺りはフェミニズムやジェンダーが論じられることが、歴史を変えた戯曲イプセン『人形の家』によってようやく開始された時代のニオイを感じますね。自分の所持品である妻が裏切ったことは許せず、また女もその罰を甘んじて受けなければならないという倫理観です。
その辺り、つまり「男のロマン」がバリバリであるという事情、それに雅俗折衷体の文体と表現の美しさなどを差し引いても、ここまで昔の人にウケた理由がいまいちわからない部分があります。しかしこの「家と家とが結ばれる」という時代において、貫一とお宮は恋に執着するのです。拝金主義すなわち「お前も大人になれよ」という部分と、対比的に扱われている、ムチャクチャな恋。これが『金色夜叉』を読み解く鍵となります。
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