その他の国の歴史

中南米の革命の闘士「チェ=ゲバラ」を元予備校講師がわかりやすく解説

20世紀前半、南米のアルゼンチンに生まれたチェ=ゲバラはキューバ革命の同志となるカストロと共闘し、バティスタ政権下のキューバで革命を成功させました。しかし、革命後にカストロと訣別したゲバラは、中南米各地でゲリラ活動に従事します。革命の理想を追求し続けたゲバラは南米のボリビアでなくなりました。今回は肖像画でも有名な革命家、チェ=ゲバラの生涯とキューバ革命について、元予備校講師がわかりやすく解説します。

アメリカによるカリブ海支配

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南北戦争が終わり、国内の混乱を収拾したアメリカは南に広がるカリブ海をアメリカの内海にしようと動きます。キューバめぐって対立したアメリカとスペインは1898年に戦争となりました。戦争に勝利したアメリカはスペインに対し、キューバの独立を認めさせます。しかし、後にアメリカはキューバを保護国化して時刻の勢力圏に組み込みました。

19世紀末から20世紀初頭のカリブ海政策

カリブ海政策とは、アメリカがカリブ海を自国の内海として支配しようとする政策のことです。南北戦争後に工業力がアップしたアメリカは、中南米諸国をアメリカ商品を売り込む場であり、原料供給地として支配しようと考えました。

1889年、アメリカはワシントンに中南米諸国の代表を集めてパン=アメリカ会議を開催。この会議で参加国は通商協定や裁判に関する協定などを締結します。

パン=アメリカ主義の理念は、南北アメリカ諸国がアメリカ合衆国のもとで団結し、政治的・経済的に緊密な関係を築くというものでした。そのため、アメリカは中南米諸国からヨーロッパ勢力の排除を画策します。

アメリカが特に重視したのが隣接するカリブ海でした。アメリカはカリブ海を自国の裏庭と位置づけていたからです。アメリカはキューバに狙いを定めました。

アメリカ=スペイン戦争

19世紀後半、スペインの植民地だったキューバでは独立運動が高まりました。1890年代にホセ=マルティを指導者とした独立運動が活発化。1895年にキューバ独立を宣言します。スペインはキューバ独立を認めず、独立運動を弾圧しました。

アメリカはキューバの砂糖産業に投資していたため、紛争により損害が出ることを懸念しキューバでの紛争に介入します。1898年、キューバのハバナ港に停泊中だったアメリカ軍艦メイン号が突然爆沈。乗組員250名が死亡する事件が発生しました。

メイン号爆沈の原因は不明ですが、アメリカ世論は過熱する新聞報道などから、爆沈はスペインの謀略だとして反スペイン感情が高まります。この機運を背景に、アメリカ大統領マッキンリーはスペインに宣戦布告。アメリカ=スペイン戦争(米西戦争)がはじまりました。

アメリカとスペインはキューバやフィリピンで交戦します。戦いの結果はアメリカの勝利。アメリカはフィリピンをスペインから奪い、スペインにキューバ独立を認めさせます

キューバの保護国化とアメリカ資本のキューバ進出

米西戦争後に結ばれたパリ条約で、キューバの独立は認められます。ところが、アメリカはキューバを自国の影響下に置くため、キューバ政府に以下の内容を要求し、憲法に盛り込ませました。

その内容とは、キューバはアメリカの干渉やアメリカ海軍基地をキューバに置くことを認めること、キューバが他国と条約を結ぶことや他国からお金を借りる(借款を受け入れる)ことを制限するといったものです。このアメリカによる修正条項をプラット条項といいました。

アメリカがそこまでしてキューバに干渉し、保護国化しようとした理由は何でしょうか。それは、キューバで生産されていた砂糖とタバコです。アメリカは安価な砂糖の供給源としてキューバを必要としました。アメリカ資本は現地の人々を安価な労働力として使い、大量の砂糖を生産します。

キューバ革命とゲバラ

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アメリカ資本による砂糖農園の支配は、一部の富裕層による富の独占を生み出しました。その一方で、多数の貧困層は生活に苦しみます。1930年代、キューバの政治が動揺した時、アメリカは軍人出身のバティスタを支援し、親米政権を樹立させました。アメリカ資本と癒着し、多くの国民を苦しめるバティスタ政権を打倒するとしてカストロとゲバラがキューバ革命を実行します。

キューバ革命前のゲバラ

チェ=ゲバラ、本名はエルネスト=ゲバラ。1928年6月14日にアルゼンチンで生まれました。チェというのはスペイン語で「やあ」「おい」といった親しみを込めた呼びかけ言葉で、ゲバラが初対面の相手に、「チェ」といって話しかけたことからついたあだ名です。

ブエノスアイレス大学で医学を学んだゲバラは、在学中にアレルギー性疾患についての研究論文を発表しました。大学生時代に友人と中南米各地をオートバイで放浪。各地の実態を目の当たりにするとともに、アメリカ資本による露骨な利益確保に遭遇します。

グアテマラでは革命に参加するも、アメリカ資本の土地に手を付けようとした革命政権がアメリカの陰謀によって倒されてしまい、ゲバラはメキシコに逃亡しました。これらの出来事から、ゲバラはアメリカの手から中南米を解放するには武力しかないと確信します。

キューバ革命の盟友、カストロとの共闘

メキシコに亡命していたゲバラはキューバで革命を起こそうと活動していたカストロと出会います。カストロはアメリカの支援を受けていたバティスタ政権打倒のためキューバ軍の宿舎を襲撃しますが失敗。カストロは捕らえられますが、恩赦でメキシコに逃れます。

ゲバラがカストロと出会ったのは、まさにその時でした。1956年11月25日、カストロとゲバラは82人の同志と共にグランマ号に乗ってキューバに上陸。バティスタ政権打倒の戦いを始めます。

ところが、政府軍は強力でゲバラたちは仲間を次々と失いました。とうとう、12名まで仲間は減ってしまい、カストロとゲバラはシエラ=マエストラ山中でのゲリラ戦に移行します。カストロとゲバラは山中の村々を転々としながら軍を立て直し、バティスタ政権軍との戦いを続行しました。

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