イングランド王に即位する前のエリザベス
エリザベスは1533年9月7日にグリニッジの宮殿で誕生します。彼女の人生は順風満帆とは程遠いものでした。幼くして母を処刑され、姉に幽閉されたエリザベスは姉の死によってようやくイングランド女王に即位します。エリザベスの苦難の背景には父ヘンリ8世や姉メアリ1世も含めたテューダー朝の血なまぐさい歴史がありました。
父ヘンリ8世の離婚問題
1509年、エリザベス1世の父であるヘンリ8世は17歳の若さでイングランド国王に即位しました。ヘンリ8世は絶対王政を強化する政策を推進します。1517年におきた宗教改革ではカトリックを支持。教皇から「信仰の擁護者」とたたえられました。
ヘンリ8世と妻キャサリンの子はのちのメアリ1世など女子だけ。そのため、後継者の男児を得たいヘンリ8世はキャサリンとの離婚を考えます。当時、カトリックでは離婚は原則認められず、例外として教皇が結婚の無効を宣言することで離婚が成立しました。ところが、教皇は離婚を認めません。
教皇と離婚問題で対立したヘンリ8世はカトリック教会から独立した新たな教会の設立に動きます。それが国教会でした。国教会のトップはイングランド国王です。
国教会はヘンリ8世の離婚を承認。その後、ヘンリ8世はイングランド国内の修道院を解散し財産を没収します。離婚したヘンリ8世はキャサリンの侍女だったアン=ブーリンと再婚しました。
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ヘンリ8世と6人の妻たち
最初の妻でスペイン王女だったキャサリンと離婚したのち、エリザベス1世の母となるアン=ブーリンと結婚します。しかし、ヘンリ8世が新しい愛人のジェーン=シーモアに心変わりすると、アンの立場は危ういものとなりました。
1536年、アンは国王暗殺や不義密通などの罪で反逆罪に問われます。ロンドン塔に幽閉されたアンは死刑を宣告され、斬首されました。次に王妃となったジェーンは待望の男子であるエドワードを生みましたが、出産直後に亡くなってしまいます。
次の王妃はドイツから迎えられたアンでしたが、彼女は英語が話せなかったことから間もなく離婚され、5番目の王妃キャサリン=ハワードはアン=ブーリンと同じく姦通の罪に問われ斬首。
最後の王妃キャサリン=パーだけがヘンリ8世よりも長くいきました。キャサリンはメアリとエリザベスの王位継承権を復活させます。
ヘンリ8世の死とブラッディメアリの時代
ヘンリ8世の死後、国王となったのはジェーン=シーモアの子であるエドワード6世でした。わずか9歳で即位したエドワードでしたが、生まれつき病弱だったようです。そのため、エドワード6世は15歳の若さでこの世を去りました。
次の王位継承権者は最初の妻であるキャサリン=オブ=アラゴンの娘であったメアリ1世でした。母のキャサリンはカトリック国であるスペイン出身の王妃だったので、娘のメアリ1世も熱心なカトリック信者でした。
国王に即位すると、メアリ1世はカトリック復帰を打ち出します。さらに、メアリ1世はスペイン王フェリペ2世と結婚。ローマ教皇との関係改善も模索します。
メアリ1世は聖職者300名を捕らえ処刑するなど強引なカトリック復帰策を実行したため、国内で反発が強まりました。そのため、メアリ1世は「血のメアリ(ブラッディメアリ)とよばれ、国民から嫌われます。
イングランド女王となったエリザベスの治世
1558年、ブラッディメアリが病死するとエリザベスがイングランド国王に即位しました。この当時のイングランドは宗教的にも政治的・経済的にも難しい状態です。エリザベスは一つ一つの問題に慎重に対処しながら、自身の基盤を固めていきました。その結果、エリザベス1世はイギリス絶対王政の最盛期を作り出すことに成功します。
テューダー朝イングランドが置かれた状況と特色
15世紀後半に成立したテューダー朝はバラ戦争を終結させたヘンリ7世によって開かれた王朝です。エリザベスの父ヘンリ8世はヘンリ7世の方針を引き継いで絶対王政を強めました。
とはいえ、現在のイギリスと異なりテューダー朝が支配するのはイギリス南部のイングランドとウェールズのみ。北部のスコットランドは独立した王国でした。ヨーロッパ大陸一の農業国であるフランスや世界各地の植民地を持つスペインなどと比べると二流国の感が否めません。
メアリ1世はスペインのフェリペ2世と結婚しましたが、フェリペの要請でフランスに出兵し、イングランド最後の拠点だったカレーを失っています。しかし、イングランドは伝統的に国王権力が強い国でした。テューダー朝も王権が強い王朝で、国王の指導力が発揮しやすい環境だったといえるでしょう。
イングランド国内の宗教問題
ヘンリ8世が推し進めた国教会を中心とするイギリスの宗教改革はメアリ1世の登場によりストップをかけられます。エリザベス1世が即位した時、宗教的な混乱は続いていました。
エリザベス1世は即位の翌年、ヘンリ8世が出していた国王を国教会の長とする首長法を再制定。国教会は国王を頂点に大主教・主教・司祭などで構成される主教制で運営されます。
さらに同じ年に国教会の礼拝・祈祷の統一基準を定めた統一法を発布。国教会の教義は聖書主義や予定説などを採用したため、カルヴァン主義に近い内容となっています。
また、儀式はカトリックの内容が残されるなど新教と旧教の内容が混在しているのも国教会の特徴です。こうして、エリザベス1世は国教会を中心とするイギリス宗教改革を成し遂げ、宗教面での安定を確保しました。