イングランドは羊の国?毛織物産業の保護
イングランドの主産業は毛織物工業です。はじめ、イングランドは対岸のフランドル地方に原料を供給する羊毛の輸出国でした。そのうち、イングランドでも毛織物工業が盛んになりフランドル地方と競争するまでに発達。14世紀後半から15世紀にかけて、毛織物産業はイングランドの主要産業へと成長を遂げました。
毛織物産業の発達により、マニュファクチュアが発達します。マニュファクチュアでは工場を建てた資本家が労働者を集め、役割分担による分業と共同作業(協業)で製品を生産する方式で、従来の個人の手工業より多くの製品をつくることができました。
羊毛の需要が高まると、地主たちは農村の共有地などを柵で囲い込み牧場にしてしまう囲い込み運動がはじまります。エリザベス1世は土地を失い貧困化した人々を救うための救貧法を成立し、社会政策にもつとめました。
アルマダ海戦でスペインに勝利し、大英帝国飛躍のきっかけを作る
15世紀後半、ヨーロッパ最強の海洋国家はスペインでした。1571年にレパント海戦でオスマン帝国を破り、1580年にポルトガルを併合したフェリペ2世はスペイン絶対王政の絶頂期の王です。そのスペインに真っ向から戦いを挑んだのがオランダでした。
オランダはプロテスタントの国でスペインのカトリック強制に強く反発。1568年にオラニエ公ウィレムをリーダーとするオランダ独立戦争を起こします。エリザベス1世はスペインの力を弱める好機と判断し、オランダを支援しました。
また、イングランドの私掠船によるスペイン船襲撃にも手を焼いたフェリペ2世は無敵艦隊(アルマダ)とよばれた大艦隊をイングランドに派遣します。イングランド艦隊を率いた海賊ドレークは、スペイン軍をドーヴァー海峡で迎撃し足止め。無敵艦隊は決定的な勝利を得られず撤退しました。
無敵艦隊はスペインへの帰途に嵐に遭遇。多くの艦艇を失いました。圧倒的不利とされたイングランド軍がスペイン軍を退けたことで、イングランドの権威が高まります。
こちらの記事もおすすめ
欧亜にまたがる大帝国となったオスマン帝国 – Rinto~凛と~
スコットランド女王メアリ=ステュアート
エリザベス1世と同時代の人にスコットランド女王メアリ=ステュアートがいます。彼女はテューダー朝の血を引いていたのでイングランドの有力な王位継承権者でした。
当時、スコットランドはフランスと同盟しイングランドに対抗していたため、メアリ=ステュアートはスコットランド女王でありながら、フランス王と結婚します。
フランス王の死後、スコットランドに戻ったメアリ=ステュアートでしたが、国政の実権はプロテスタント系貴族に握られ、彼女の思い通りになりませんでした。1567年、メアリ=ステュアートは王位を息子のジェームズ6世に譲り幽閉されます。
しかし、翌年、メアリ=ステュアートはイングランドへ亡命しました。エリザベス1世はメアリ=ステュアートの亡命を許しましたが、有力な王位継承権者である彼女の存在はエリザベス1世の王位を脅かしかねません。結局、メアリ=ステュアートは長期の幽閉生活の末、エリザベス1世の命令で処刑されました。
積極的な海外進出とイギリス=ルネサンス
エリザベス1世の時代はイングランドが積極的に海外に進出した時代でもあります。アジアとの貿易を目指し、東インド会社が作られたのもエリザベス1世の時代でした。
エリザベス1世の寵臣だったウォルター=ローリーは新大陸アメリカに入植します。ローリーの入植は失敗しましたが、イギリス最初の北米植民地となるヴァージニア植民地を作るきっかけとなりました。
経済的な成長はイングランドに華やかな文化を創り出します。その代表がシェークスピアの演劇でした。シェークスピアはエリザベス1世のお気に入りの劇作家です。『ハムレット』、『オセロ』、『リア王』、『マクベス』の四大悲劇は現代でも世界各地でアレンジされ上演される超ロングセラー作品となりました。
こちらの記事もおすすめ
【文学】詩から小説、劇まで~世界文学史の流れが5分でわかる!神話世界から現実へ – Rinto~凛と~
エリザベスの死とテューダー朝の断絶
エリザベス1世の晩年は決して順調な統治ではありませんでした。囲い込み運動によって発生した貧富の格差と職を失った多くの元農民たちは難民化し、救貧法で対処することが難しくなります。さしものエリザベス1世の統治にも影が差すようになっていました。
1603年に入るとエリザベス1世の健康状態は悪化。重臣たちはひそかに後継者選びを模索します。1603年2月、友人のノッティンガム伯爵夫人キャサリン=ハワードの死はエリザベス1世に精神的打撃を与えたようでした。
1603年3月24日、エリザベス女王はリッチモンド宮殿でこの世を去ります。69歳でした。重臣たちは直ちにスコットランド王ジェームズ6世のイングランド王即位を宣言します。ジェームズ6世は、エリザベス1世によって処刑されたメアリ=ステュアートの子でした。テューダー朝はエリザベス1世の死で断絶し、ステュアート朝の時代が始まります。