5. ムガル帝国の行方とタージ・マハルの影響
シャー・ジャハーンの死後、彼を憎んだ息子・アウラングゼーブが皇帝となりましたが、やがてムガル帝国は斜陽に向かいます。タージ・マハル建設に注いだ莫大な費用も遠因でした。タージ・マハルはその後の建築にも影響を与えるほどの存在でしたが、それはどんなものだったのでしょうか。
5-1. ムガル帝国のその後
兄弟を殺しつくし、父を幽閉して即位したアウラングゼーブは、その勢いのままに帝国を栄えさせます。しかし治世後半になると、急激な領土の拡大による戦費が財政をさらに圧迫し、その統治に翳りが生じました。
死が近づくと、彼は自分の治世を後悔しますが、やはりというべきか、彼の死後に息子たちは争いをはじめてしまいます。そして、ムガル帝国は衰退へと向かっていくことになるのです。
5-2. タージ・マハルの影響を受けたもの、影響を与えたもの
タージ・マハルは、そのあまりに完璧な美しさから、影響を与えた墓廟が存在します。それが、ビービー・カー・マクバラーという廟で、これはアウラングゼーブ帝の妃であるディルラース・バーヌー・ベーグムのために息子アーザム・シャーが建設しました。タージ・マハルほどの大きさはないものの、明らかにタージ・マハルをモデルとしたつくりであるために、「貧乏人のタージ」と呼ばれることもあるとか。父を憎んだアウラングゼーブですが、自分の息子が憎んだ父と同じような墓廟を建てたことには、どのような感慨を抱いたのでしょうか。
また、タージ・マハルに影響を与えたという廟もあります。世界遺産「デリーのフマーユーン廟」がそれで、2代皇帝フマーユーンのために妃が建てたものです。こちらはシャー・ジャハーンとムムターズ・マハル同様、非常に仲の良い夫婦だったそうですよ。
ムガル帝国の頂点と衰退を目撃したタージ・マハル
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タージ・マハルはムガル帝国のシンボルともいえる建造物でしたが、この建設以降、帝国が徐々に衰退していくのが皮肉でもありますね。ムムターズ・マハルはどんな思いで帝国の情勢を見守っていたのでしょうか。とはいえ、一国の皇帝が、全身全霊をかけて愛した女性のためにつくった建物という事実は、とてもロマンチックで、私たちの心を引きつけます。ぜひ一度、この目で見てみたい…と思わされるタージ・マハルの歴史でした。