三国時代・三国志中国の歴史

臥薪嘗胆の意味と由来は?類語や誤用の例は?歴史的背景もわかりやすく紹介!

2-3. 返り討ちに遭った闔閭が、復讐を息子に託す

ところが、闔閭は返り討ちに遭いました。新たに王となった允常の息子・勾践(こうせん)は、参謀・范蠡(はんれい)と共に闔閭を撃退し、傷を負わせたのです。

負傷が元で床についた闔閭は、もはやこれまでと死を覚悟すると、枕元に息子の夫差(ふさ)を呼び、こう告げました。

「勾践がワシに何をしたか忘れるな」

受けた屈辱を晴らしてほしいと、闔閭はいまわの際に息子に復讐を託したのです。

夫差は「必ずや」と答え、闔閭はそのまま亡くなりました。

闔閭の復讐は息子の夫差に受け継がれました。そしてこれが、臥薪嘗胆のきっかけとなっていくのですが、それは次にご紹介しましょう。

3. 夫差と勾践の復讐合戦から生まれた臥薪嘗胆

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父・闔閭に復讐を頼まれた夫差は、父の屈辱を忘れまいと、薪の上に寝るという荒行をやってのけます。そして仇の勾践を打ち破るのですが、今度は勾践が復讐に闘志を燃やす番となったのでした。ここでは、2人の復讐劇から生まれた臥薪嘗胆の故事を中心にご紹介していきたいと思います。

3-1. 夫差、「臥薪」して復讐心を忘れず

闔閭の跡を継いだ新たな呉王・夫差は、父の遺言を胸に、国力と軍備を充実させていきます。

その一方で、彼は毎日のように薪の上に寝ることを欠かしませんでした。ごつごつとした薪の上に寝るのですから、当然、体には相当な痛みを伴いますし、ともすれば一睡もできなかったことでしょう。しかし夫差はそれをやめようとはしませんでした。この痛みが彼に父の屈辱を思い起こさせ、いっそう復讐心を煽ったのです。

これが臥薪嘗胆の故事のうち、「臥薪」となったエピソードになります。「坐薪懸胆」という四字熟語でもありますよ。

3-2. 敗れた勾践、夫差の使用人となる

夫差が復讐に燃えていることは、当然、越王・勾践の耳にも届いていました。そのため、先手を打って彼は呉に攻め込みますが、軍備を増強した呉に返り討ちに遭ってしまうのです。今度は、越が滅亡寸前にまで追い込まれてしまったのでした。

追い込まれた勾践ですが、降伏し、夫差を前にして決死の命乞いをします。彼は卑屈なまでにへりくだり、「奴隷にでも何でもなりましょう」と申し出たのです。

夫差の側近で重臣の伍子胥は「いつか必ず勾践は災いとなりましょう」と言い、勾践を許すことを猛反対しましたが、夫差はその意見を聞き入れませんでした。殺すまでしなくても…という思いがあったのかもしれませんが、とにかく、夫差は勾践の命を奪うことまではせず、自身の使用人として扱うことにしたのです。

3-3. 「嘗胆」して屈辱を忘れなかった勾践

かつての王が宿敵の使用人になることは、耐え難い屈辱でした。しかし、復讐のためにはどんなことをしてでも生き延びねばならないことを、勾践は知っていたのです。

夫差の使用人として数年を過ごした勾践は、やがて越への帰国を許されました。

しかし、帰国してからも、勾践は屈辱を忘れようとはしなかったのです。苦い胆を吊るし、それを毎日舐めることで、受けた屈辱を思い起こし、復讐に燃えたのでした。これが臥薪嘗胆の「嘗胆」の故事となります。こちらは、勾践が越王であったことから「越王之胆」という四字熟語にもなりますね。

ちなみに、勾践が追い込まれた場所が会稽(かいけい)だったこともあり、彼は「会稽の恥を忘れたのか!」と胆を嘗める際に叫んでいたとも言い、これが「会稽の恥を雪ぐ」という故事成語の由来にもなっていますよ。

この一方で、勾践は抜け目のない一面を発揮していました。使用人となっている間にも、賄賂を贈って呉の宰相を懐柔し、立場をすぐに回復できるようにしていたのです。また、范蠡の知恵によって絶世の美女・西施(せいし)を夫差のもとに送り込み、彼女の美貌で彼を骨抜きにしていたのでした。

4. 臥薪嘗胆のその後…両者の行く末は?

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臥薪嘗胆し、互いに復讐に燃えた夫差と勾践。しかし、2人の末路は違ったものとなりました。勢い盛んだったはずの夫差の凋落と、勾践の復活…何が2人の運命を変えたのでしょうか?臥薪嘗胆の故事のその後をご紹介したいと思います。

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