アメリカの歴史植民地時代独立後

5分でわかるアメリカの歴史!新世界から世界の超大国までの流れを総ざらい

アメリカを二分した南北戦争

アメリカが西海岸まで到達すると国民の大体がアメリカがイギリスの植民地だったことを知らない人が多数となり、アメリカという国が一般的に認識されるようになりますが、その結果一つの問題を引き起こすようになります。アメリカという国は北側が工業、南側が農業という形態にあり、さらに南側では奴隷によるプランテーションが行われていました。これに対して北側は面白くない。北側からすれば奴隷となって農業をするよりも自由の身になって北側の工場に働いて欲しいと思っていたのです。

そして南部を主な支持基盤としていた民主党は奴隷制を推進していることに対して反対派は共和党を結成。今に続く二大政党制が成立してさらに1860年に奴隷反対派の共和党のリンカーンが大統領になると南部ではジェファソンを大統領としたアメリカ連合国を設立。アメリカはついに二分させることになりました。

しかし、この戦いは工業の発展が著しい北側の出来レースのようなものであり、リー将軍によって一時期は南軍が優勢になるものの、あっさりと北軍が首都のリッチモンドを占領して南北戦争を終結させました。ちなみに南北戦争は両軍合わせて63万人の犠牲者出るなどアメリカ史上最大の戦争でもありました。

アメリカを世界一にした金ピカ時代

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南北戦争が終結するとアメリカではより一層独立国家という意識が高まり、戦争に勝利した北部中心に急激な工業化を進めていきます。さらにアメリカ国内では石油王と呼ばれるロックフェラーや鉄鋼王と呼ばれたカーネギーやモーガンなどの世界に覇を唱える新興財閥が続々と誕生。第二次産業革命と呼ばれる時代に突入してアメリカはついに1890年にイギリスを超える工業力を手に入れて世界一となりました。そしてアメリカは伝統の大陸不干渉を唱えたモンロー主義を唱えてながらハワイフィリピンを占領して見事に帝国主義の国に仲間入りを果たすようになったのでした。

アメリカの世界の覇者にした第一次世界大戦

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アメリカが世界一の工業力を手にした1890年以降、ヨーロッパではフランスとドイツの対立やバルカン問題などで揺れ動いており、そして1914年にはサラエボ事件が起きてオーストリア皇太子夫妻が暗殺されるとヨーロッパ全体を巻き込む第一次世界大戦に突入。ヨーロッパは地獄とも呼ばれる戦争に突入していきました。一方のアメリカはというとここぞとばかりにモンロー主義を主張。厳正な中立としながらもヨーロッパに対して莫大な軍事援助を行い巨額の富を築き上げました。さらに1917年にアメリカの輸送船がドイツの潜水艦に沈められたことがきっかけで連合国として第一次世界大戦に参戦。200万人という兵員をかき集めて圧倒的にドイツ有利だった戦争を一気に連合国有利として勝利に導きました。

これ以降世界ではアメリカを味方にした方が勝ちというイメージがつくようになり、アメリカが世界の超大国となるきっかけとなりました。

狂乱の好景気と地獄の恐慌

第一次世界大戦が終結するとかつて世界の工場と呼ばれたイギリスは見る影もなくして代わりに戦争の被害がなく、ヨーロッパに多額の軍事支援を行ったアメリカが世界の富をどんどん独占していきます。1920年代のアメリカはまさしく『この世の天国』とも呼ばれる時代であり、今でも自動車といえば?という質問に対して真っ先に挙げられるT型フォードが製造され、アメリカの豊かな経済によって支えられた大量生産・大量消費など今にもつながるアメリカの豊かな生活を築き上げました。ニューヨークでは今の時代でも遜色がないぐらいの高層ビルが立ち並び、その姿は摩天楼と呼ばれていたそうです。

ちなみに今でも売ってあるコカコーラはこの頃に誕生したもの。あれ美味しいですよね。

しかし、繁栄があれば没落もある。その通りに1928年に暗黒の木曜日と呼ばれる株価大暴落が発生してしまい、アメリカの経済は大混乱。企業や銀行の破綻、自然災害による農作物の凶作も合わさってアメリカ国内の失業者が4人に1人と呼ばれるレベルに悪化してしまい世界恐慌とも呼ばれる暗黒の時代に突入してしまったのでした。

ニューディール政策と第二次世界大戦

アメリカが不況に突入してから4年後の1933年、アメリカ国内ではとある一人の大統領が就任しました。その名もフランクリン・ルーズベルト。彼は世界恐慌をなんとか終わらせようとしようと経済政策をどんどん行っていきます。

その中でも代表的なものといえばテネシー川流域開発公社(TVA)による工業事業の拡大でした。これ以前の世界の経済は「経済?そんなの民間が勝手にすればいいじゃん」という自由主義が行われていましたが、イギリスのケインズは「逆に国によって仕事を作れば経済が良くなるでしょ!」という経済理論を唱えてルーズベルトはそれを採用して積極的に公業事業を作っていきました。また、ルーズベルトは行き過ぎた経済活動を抑制するために証券取引委員会を設立。また、労働環境を改善させるために社会保障法やワグナー法を成立させました。こうしてなんとか経済を立て直したアメリカ。さらに1939年から第二次世界大戦が始まると経済は戦争特需によって一気に復活。『民主主義国の兵器廠』と呼ばれるようになり1941年にアメリカが参戦するとドイツ・イタリア・日本率いる枢軸国に圧倒的な力を見せつけて戦争を優位に進めていき、1945年には新兵器である原子爆弾を日本の広島に投下して見事に勝利しました。

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