日本の歴史

謎が謎を呼ぶ、日本の歴史人物の死因3選

1.柿本人麻呂

最初は、古代史に輝く万葉集の歌人であり「歌聖」とまで謳われる柿本人麻呂です。この人は、活躍した時代が飛鳥時代~奈良時代と古いこともあり、それゆえ死因についても諸説が飛び交う状態。例えば、石見国(島根県)で下級役人として静かに亡くなったという説もあれば、哲学者の梅原猛氏が主張した藤原不比等※2による「水刑死説」もあり、決定打はありません。不比等がその地位を利用して人麻呂を葬ったとしても不思議ではありませんが…。

この人の死因を考えるうえで興味深いのは、彼自身の歌がそのヒントになっている可能性があること。ですから、歌の解読次第では、謎が解けることも期待できそうですね!

※2 藤原不比等…飛鳥~奈良時代の貴族。「大化の改新」に尽力した藤原鎌足の長男。藤原氏の勢力拡大を図った。

2.源頼朝

2番目は、源頼朝。言わずと知れた、源氏の棟梁ですよね。実はこの人の死因についても、少し疑問符がつくんです。当時の第1級の資料である「吾妻鏡」には、こう書かれています。

「…供養を遂ぐる日、結縁のため、故将軍家渡御す。還路に及びて御落馬あり。幾程も経ず薨じたまひをはんぬ」

ざっくり言ってしまうと「落馬」して亡くなったと記しているのですね。まあこれはいいとしても、そもそも「吾妻鏡」という資料自体に問題があります。実はこの資料、頼朝の子である源頼家を後に暗殺することになる執権・北条氏の視点で書かれているのです。

果たしてそのまま受け取っていいものか…。謎が残ります。

3.武田信玄・上杉謙信

3番目は、戦国武将として有名な二大武将である甲斐の虎・武田信玄と越後の龍・上杉謙信です。信玄や謙信もまた、その最期についてクエスチョンマークが残る2人になります。ただこの2人の場合、問題なのは文献の記述などというよりは、その「タイミング」です。

当時、信玄も謙信も、その目線の先には織田信長がおり、さらにその先には京の都がありました。つまり上洛を目指していたのですね。そして、2人とも当初は信長方(信長と直接対決したわけではありませんが)と戦い、圧勝していました。

ところがです。武田・上杉家に悲劇が襲います。2人とも信長方に勝った直後に死んでしまうのですね。これは偶然でしょうか。定説では2人とも病気で亡くなったことになっていますが、信長からすればあまりにタイミングが良過ぎる展開で、2人の死後に信長は勢力を拡大しています。何か別の原因があったのかと勘繰りたくなりますね。

「死人に口なし」だが…

image by PIXTA / 29596872

このように見てくると、有名人物の死因の謎については、「文献などによって解決できるかも!な場合」と「後世の人の想像に委ねるしかない…場合」の2パターンあることがわかります。

ただ、前者はパズルを解くような面白さがありますし、後者には何かロマンを感じさせるものがありますよね。どちらにしても、これが歴史の醍醐味だと思います。そう、こんなところからも歴史への興味の階段がある、ということを知っていただけたら幸いです。

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