平安時代日本の歴史

「源氏」と「平氏」とは?日本の歴史を動かした2つの一族をわかりやすく解説

源氏の滅亡

こうして平氏が滅亡し、源氏による政治に様変わりして1192年鎌倉にて史上初めての幕府を開きました。しかし、初代将軍源頼朝が落馬が原因でこの世を去ると頼朝の妻であった北条政子の権力がどんどん強くなり、また跡を継いだ源頼家が政治に関心がなかったことが原因で北条政子の父の北条時政が代わりに政治をします。そしてついに時政によるクーデターが勃発。頼家は寺に幽閉された後自害。さらに跡を継いだ頼家の弟の源実朝も公暁という頼家の息子によって鶴岡八幡宮で暗殺。こうして頼朝の系統である源氏は完全に滅亡し、北条一族が代わりに政治を行なっていく執権政治が開始していくことになります。

武士として名を馳せた源氏と平氏。この両家は共に繁栄を築き上げた直後あっけなく滅んでいったのでした。

武士だけじゃないよ‼貴族の源氏と平氏

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源氏と平氏といえば武士として有名ですが、もともと皇族の子孫だったこともあり、公家として権力を握る源氏や平氏も存在していました。

次は武士とならず公家となった源氏と平氏を見ていきましょう。

源氏の貴族

源氏の場合だと光源氏のように源氏という姓を貰った後も貴族として残る場合が多かったです。

例えば一族みんな名前が一文字でわかりやすいことでも知られる嵯峨源氏の場合源信や源融などが有名で、特に源融は実質的な朝廷のトップである左大臣に小倉百人一首で25番目に河原左大臣として歌が残されています。ちなみに光源氏はこの人をモデルにした説があるそうでもしそうならば光源氏が源氏と名乗っていることも納得ですね。

さらに村上源氏の一族の場合だと後三条天皇が藤原家を遠ざけたいと思っていた時に代わりの大抜擢。藤原家の後を継ぐように権力を握っていきました。

平氏の貴族

平氏の場合、平氏の姓をもらった後は地方の長官になったり、坂東平氏や伊勢平氏のように武士となることがほとんどで京都に残って貴族になることはあまりありませんでした。

しかし、光孝天皇の時に臣籍降下した光孝平氏と呼ばれている一族の一人である平兼盛は和歌が上手だったこともあり、小倉百人一首の40番に登録されるなど業績も残しました。

源氏と平氏が日本を動かした

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これから続く武士の時代。源氏と平氏の直系は断絶したものの、のちの武士たちはこの源氏か平氏の子孫と名乗って活躍していきます。源氏と平氏はまさしく日本の武士の基礎を作った一族であり、後の武士の憧れとなった一族でもあったのでした。

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