日本の歴史昭和

盧溝橋事件とは何だったのか!長い日中戦争への入り口

蒋介石による軍閥統一と中国共産党による国共合作が盧溝橋事件を生む

中国共産党は、孫文の後継者となった蒋介石と勢力を二分するようになります。そして、共産党の長征(軍事制圧作戦)で毛沢東が権力を握り、抗日民族統一戦線を提起して、1935年に蒋介石と第二次国共合作に成功して、関東軍の進出に抵抗するのです。そのため、関東軍の中国進出はあまり進まず、関東軍は本格的な戦争への道を模索していました。そこに起こったのが、盧溝橋事件だったのです。関東軍が関与していなかったとしても、この事件を利用して中国進出を本格化させたことには変わりありません。

盧溝橋事件の後、宣戦布告のない長い戦争への突入

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盧溝橋事件後には、日本側と中国側の交渉が行われますが、当然互いに主張を述べるだけで進展がありませんでした。その間も両軍の発砲が行われ、河を挟んでにらみ合いは続き、そのまま戦争に突入していきます。日本政府にはすでに軍部のコントロール能力は失われていました。

盧溝橋事件の結果、軍部の力に屈した近衛内閣

当時の政府は、6月に成立した第一次近衛文麿内閣でしたが、軍部に押しきられる形で、翌年には国民総動員法などの戦争推進のための法案を打ち出してしまいます。第二次近衛内閣では大政翼賛会を組織して戦争の推進を加速させ、結果的に東条内閣の真珠湾攻撃による第二次世界大戦に突入させてしまうのです。公家出身の政治家でしたが、軍部にコントロールされた内閣になっていました。

盧溝橋事件の後、日本国内は戦争にまっしぐら

盧溝橋事件後の日本政府には、軍部のコントロール能力はなくなり、軍部が政治の実権を握るようになりました。日本は戦争への道を突き進むしかなくなったのです。石油燃料の確保のために中国だけでなく、東南アジアに進出せざるを得ず、東南アジアを植民地支配していたイギリス、フランス、オランダなどとも対立することになってしまいます。結局、日本と同じように欧州で孤立して戦争を進めるドイツ、イタリアと三国同盟を結ぶしか道はありませんでした。

盧溝橋事件から国民を巻き込む悲惨な結果に!戦争の恐ろしさ

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日中戦争から第二次世界大戦に突入した日本は、当初こそ真珠湾攻撃の成功から戦争を有利に進め、太平洋地域を支配しました。しかし、真珠湾攻撃で空母を撃沈できなかったため、ミッドウェイ海戦で敗れて制空権を失い、その後は悲惨な結果に追い込まれます。

サイパン島を失ってからは、日本国内に爆撃(空襲)が行われるようになり、軍人だけでなく、民間人の犠牲者も膨れ上がったのです。東京大空襲や沖縄戦では10万人以上の犠牲者が出ています。当時は、現在のような軍事施設をピンポイントで攻撃することはできなかったため、都市にはじゅうたん爆撃が行なわれ、多くの民間人の犠牲者が出てしまったのです。国内では、国家総動員法の他、学徒出陣、女子挺身隊、学童疎開など、国民は悲惨な状況に追い込まれています。そして、広島、長崎への原子力爆弾投下、ソ連の参戦によって日本はポツダム宣言を無条件で受け入れ、無残な敗戦国となるのです。

このような悲惨な戦争は二度とは起こしてはなりません。

盧溝橋事件の教訓_戦争のきっかけはどこにでもある

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戦争のきっかけは予想もしないところから起こります。第一次世界大戦はセルビア青年がオーストリア皇太子を暗殺したことから起こりました。日清戦争も朝鮮半島の農民蜂起(甲午農民戦争)から起こっています。盧溝橋事件に限らず、戦争のきっかけは予想もしない、どこででもある事件が引き金になるのです。しかし、そのきっかけはあくまでも発火だけであり、本来はそれ以前の伏線があります。盧溝橋事件においても、関東軍の侵略行為がその伏線にありました。

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