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日本が参加した戦争って?明治維新以降の近代の戦争をわかりやすく解説!

ソ連との戦争に敗れる:満州事変後のノモンハン事件

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第一次世界対戦で中国に対する利権をドイツから手に入れた日本は、軍部を中心として、遼東半島から中国東北部の満州地域への進出を本格的に開始しました。これに対して、米国を中心とする欧米諸国は、日本の戦力を抑えるために国際会議や条約を次々に結んで対抗します。しかし、中国東北部に進出した日本の関東軍は、ついに中国と衝突して満州事変を起こし、満州支配を強めて、映画「ラストエンペラー」でも描かれていた傀儡政権による満州国を打ち立てたのです。

しかし、南下政策を諦めていない革命後のソ連と対立したことにより、モンゴルのノモンハンで両国の軍事衝突事件が起こります。これがノモンハン事件と呼ばれる戦争です。この戦いで日本は初めて、ソ連の近代的兵器の前に敗れてしまいます。そのため、日本は、ソ連と不可侵条約を結び、南下政策をとるようになったのです。その過程で起きたのが有名な南京事件と言われる虐殺事件でした。

日本の孤立化が表面化する

しかし、南下政策をとったことで、中国との衝突は激しくなり、欧米諸国も南下政策だけでなく、満州国そのものを認めませんでした。国際連盟ではリットン調査団を派遣し、その報告によって日本の満州国建国は国際的に認められなかったのです。当時、全権を任せられた松岡洋右は国際連盟脱退に至り、日本は孤立を深めていきます。孤立が深まるようになった結果、ヨーロッパでも同様の状態にあったドイツ、イタリアと三国同盟を結ぶようになったのです。

中国進出による日中戦争から世界大戦へ:第二次世界大戦(太平洋戦争)

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国際的な孤立の中で、石油などの資源不足が表面化して、南下政策をとっていた軍部は、近衛内閣の支持もあり、さらに中国内での南下政策と、東南アジアから太平洋地域への進出を強めてしまいます。東南アジア地域では、植民地化していたイギリス、オランダなどとの対立が深まっていき、中国進出を目指すアメリカとの対立も深まったんです。でも、結果的には、戦後これらの東南アジア諸国は独立を勝ち取ることになりました。

 

長い戦争が始まってしまった

中国では、盧溝橋事件をきっかけとした日本と中国の衝突から、1937年に宣戦布告のないままに中国国内での内戦となる日中戦争に突入します。長い戦争の時代に入ったのです。同時期、ヨーロッパでも、ドイツのチェコのズデーテン地方の併合、ポーランド侵攻をきっかけとして戦争が発生していました。

日本の外務省は、この時期、米国の国務長官ハル氏との粘り強い外交交渉を続けますが、遂に決裂し、1941年12月には、真珠湾攻撃で太平洋戦争、すなわち第二次世界大戦へと突入してしまうんです。太平洋戦争開戦の真珠湾攻撃から半年間、日本は海軍の活躍で優勢に進めました。しかし、真珠湾に空母がおらず、米国の太平洋艦隊に決定的なダメージを与えられなかったことから、制空権を支配できなかった日本海軍は、翌年6月のミッドウェイ海戦に敗れてしまうのです。

日本軍の後退が始まり、終戦へ

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日本軍はミッドウェー海戦後、撤退に転じ、次第に後退に次ぐ後退をせざるを得なくなりました。ついには日本の統治下にあったサイパン島が陥落して、日本国内への空襲が行われるようになったのです。現在では、一般人への爆撃は国際的な批判の的になりますが、第二次世界大戦では適用されず、日本各地の主要都市へは容赦なく爆撃が加えられていました。そのため、軍人だけでなく、民間人の死者も多く出たのがこの悲惨な戦争だったのです。

1945年に入ると、沖縄攻撃や東京空襲では10万人以上が犠牲になってしまいます。そして、1945年8月の6日に広島、9日に長崎に原爆が投下され、さらに11日には不可侵条約を結んでいたソ連が参戦して、日本は遂に8月15日の期限日時ぎりぎりに無条件降伏を受け入れたのです。

終戦時でも、陸軍内部には本土決戦を行う意見が強かったと言われていますが、それが行われていれば、今の日本はなかったでしょう。

また、この戦争の結果、二度と地球規模の戦争を起こさないという国際間の取り決めから国際連合が設立されましたが、ソ連を中心とする共産主義国と欧米の自由主義国との間に冷戦が勃発してしまいます。同時に、インドなどアジア、アフリカでは多くの植民地が独立しました。また、イギリス、アメリカは中東地域にユダヤ人のイスラエル建国を実現させましたが、それが現在のテロ戦争の発端にもなっているのです。

現代につながる戦争の結末

第二次世界大戦後には、日本には米軍を中心とした連合軍が駐留し、日本は独立国ではなくなってしまいました。しかし、西側諸国が共産諸国との対立を深めた結果、冷戦時代となり、1951年にロサンゼルス条約で日本はようやく独立を果たすのです。しかし、ソ連などの欧州の共産主義国が敗北した今も、日本国内には沖縄をはじめ、各地に米軍基地がそのまま残っています。自由主義国の仲間入りをした日本は、個人主義が定着していますが、一方で日米地位協定などの不平等な条約もまだ存在しているのです。

日本は、第二次世界大戦後、戦争には参加せずに平和な状態を維持してきましたが、世界では、朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争、中東戦争など数々の戦争が行われてきました。今また、戦争の可能性が論じられるようになっています。日本が属する東アジアでは、北朝鮮、中国との対立のほか、韓国とも関係が冷えきった状態にあるのです。

しかし、明治維新以降の日本の戦争では、日本だけでなく、東アジア全体に多くの方が亡くなり、悲惨な生活を経験しています。同じ過ちによって惨劇を生じる戦争は絶対に避けるべきでしょう。

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