室町時代戦国時代日本の歴史

世渡り、家族愛、意外な一面…好きになりそうな5人の戦国武将とエピソード

白装束でお詫びに参上、秀吉はニヤリと笑って「許す!」

豊臣秀吉による小田原の北条氏討伐の際、東北の戦国武将たちにも動員命令が下ったのですが、政宗はなんと遅刻してしまいました。即刻首を刎ねられても仕方のない事態でしたが、政宗は秀吉との対面の場に、なんと白装束で現れたというエピソードがあるんですよ。

「首を刎ねられる覚悟ができております」と暗に示したものですが、このパフォーマンスを秀吉は気に入り、政宗を許したのでした。

黄金の十字架を担いで現れ、度肝を抜く

また、一揆を煽動したとの疑惑をかけられた(本当に煽動していたようですが)際、申し開きに参上した政宗は、なんと自らを磔にする巨大な黄金の十字架を運んでこさせたのでした。

そして弁明の場では、「自分の真の花押(かおう/戦国武将のサインのようなもの)には針で穴を開けてある。発見された書状の花押には穴が開いておりません」と、何ともグレーゾーンな弁明を展開し、そのふてぶてしさに秀吉が笑い出して許されたというエピソードが伝わっているんですよ。

秀吉だからこそ通用した言い訳かもしれませんが、秀吉の性格を考慮してのパフォーマンンスは、政宗の世渡り術の極致だったと言ってもいいでしょうね。何にせよ、生き抜いて家を残すことこそ、戦国武将の条件ですから。

鼻毛を伸ばして徳川の睨みを逸らした前田利常

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秀吉の親友・前田利家亡き後、残された前田家は親豊臣派として、関ヶ原の戦いの後に権力を握った徳川政権から睨まれてしまうことになりました。火事で焼けた城の改修をしただけで「謀反の兆しあり」と因縁をつけられてしまうほどだったのです。

こんな状況で当主の座についたのが、前田利常(まえだとしつね)でした。彼の世渡りエピソードを紹介しましょう。

突然鼻毛を伸ばし始めた殿様に家臣は困惑

当主となった利常は、江戸の屋敷に滞在し、放蕩にふけるようになってしまいます。

その上、突然鼻毛を伸ばし出したのですから、周囲は驚くばかり。

「鼻毛が出ていらっしゃいます」と面と向かって言うわけにもいかず、家臣たちは困惑しきりでした。土産として手鏡を献上したり、側仕えの者たちに利常の前でわざと鼻毛を抜かせたりしたのですが、利常は一向に鼻毛を切ろうとしません。

鼻毛の理由は国と民を守るため!?

するとある時、利常はこう言いました。

「この鼻毛は、国を守り、お前たちを安泰に暮らさせるための鼻毛なのだ」と。

放蕩したのも鼻毛を伸ばしたのも、すべては阿呆を装って江戸幕府の目をかわすためのものだったというわけです。

この利常、一方では内政に尽力し、加賀百万石と称される絢爛豪華な加賀文化の礎を築いたのですから、鼻毛を伸ばしたのも、戦国武将の世渡り術の一環だったんですね。

戦国武将の意外な一面に、人間らしさと処世術を学ぶ

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戦国武将にまつわるエピソードを紐解くと、意外な一面をのぞき見ることができるだけでなく、彼らが生き抜くために苦心していたことも知ることができます。処世術が今よりも切実に必要とされていたんですね。

今回は彼らの人間性を伝えるエピソードをご紹介しましたが、戦国武将にもっと親近感を持っていただけたら嬉しく思います。

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