小説・童話あらすじ

5分でわかる『吾輩は猫である』猫が人間を風刺する夏目漱石の処女小説のあらすじ、内容を解説!

4-4恋人との永遠の別れ

隣の家に住む、三毛子(雌猫)を好きだったのです。餅事件で傷ついた心を癒すために訪れます。が、帰る途中に車屋の黒猫「黒」に出会いました。黒はガキ大将的な存在で、ネズミを捕った武勇伝を話します。でも、吾輩はネズミを取るより、眠ることが好きなのです。気分も台無し、うんざりして帰りました。

数日後、三毛子のところに訪れると、縁側に彼女はいません。翌日もいませんでした。障子の後ろから、「三毛子が病気になるなんて。きっと下品な教師の家の黒猫が移したのよ。」と声が…。今日は退散と家に戻ると、苦沙弥と迷亭君と寒月君の話を聞くも、この日ばかりは全く感情が湧かなかったようです。

再度隣の家に行くも、愛する三毛子は病死していました。猫なりに死というものと向き合います。心が折れて引き籠りとなり、主人と同じ無精を決め込むようになりました。

4-5鼻デカ女との対決

寒月君の気になる女性は、実業家の金田家の娘富子でした。偉大な鼻をもつ母が縁談の相談に、やってきたのです。鼻子と渾名をつけます。鼻子は、誰もがひれ伏す大富豪の妻。でも、実業家より教師が偉いと思う苦沙弥には通用しません。その場にいた迷亭君の起点で「伯父が金田さんと知人だ」とホラを吹き、険悪なムードを脱します。後で、猫は寒月君を心配し、金田家の偵察を始めました。

中学校の生徒が庭に野球ボールを打ち込むなど、金田家が仕掛ける数々の嫌がらせを受け、心を鎮めようと四苦八苦する苦沙弥の姿もユニークです。漱石は、金が全てと思い通りに物事を動かそうとする鼻子を痛烈に批判し、苦沙弥たちインテリどもも「太平の逸民」と笑い飛ばしています。

4-6切なすぎるラストシーン

珍野家には駄弁仲間が集まった秋の日に、寒月君が実家で用意された女性と結婚し、元門下生の多々良三平と金田富子が結婚するという、教え子二人の吉報を受けます。ビール片手の祝宴も終わり、解散後に皆家路に着きました。

気分を変えようと猫は、残ったビールを飲みます。初体験のビールは、苦く舌がピリピリし相性が悪いと思いながらも、2杯も飲み酔っぱらいました。千鳥足での散歩中に、甕(かめ)に落ちてたのです。苦しくもがくも脱出不可能。諦めた時、次第に楽になり、楽すらも感じなくなったのです。「吾輩は死ぬ。死んで太平を得る。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。ありがたい。ありがたい。」といいながら死んでしまいました。切ない…。

夏目漱石は後に「この作品は、亡き親友子規に献ずる」と語っています。自分が英国留学中に子規から病気が辛いという手紙を貰うも、何もできなかった思いと、日本で病気と闘いながら親友の海外で活躍する姿を想像する親友子規の気持ちを漱石は感じていたようです。この発言は、子規に対する自責の念から発したのでしょう。

『吾輩は猫である』は現在も世界各国で読まれる日本の普及の名作

『吾輩は猫である』の最大の魅力は、漱石のユーモア溢れる表現力です。雑誌小説だけあり、明治時代で一流の知識人が提起する問題点も垣間見られます。漱石がエリートを捨てて作家となるきっかけを作った名作は、人間という存在の素晴らしさを教えてくれているようです。

1 2 3 4
Share: