フランスブルボン朝ヨーロッパの歴史

5分でわかる七月革命:王政復古が招いたフランス民衆革命をわかりやすく解説

ウィーン体制崩壊:七月革命が及ぼした影響とは

フランス革命同様、七月革命も、ヨーロッパ各国に大きな影響を及ぼしました。他国でも、市民による暴動や動乱が頻発。ベルギー王国の独立やポーランドの民衆運動などに通じていきます。

七月革命は市民が勝利を勝ち取った革命として、芸術や文学の世界にも大きな影響を及ぼしました。

ルーブル美術館収蔵のドラクロワ作『民衆を導く自由の女神』は、七月革命を題材にして描かれた絵画として知られています。

また、ヴィクトル・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』も、七月革命後の混沌とした世の中を背景にした物語。ショパンのピアノ曲『革命のエチュード』は故郷ポーランドを思って作られた曲だと伝わっています。

七月革命はフランス芸術にも大きな影響を与えた出来事だったのです。

「二月革命」というのもあるよね?どう違う?

七月革命を経てようやく落ち着いたかに見えたフランスでしたが、実際にはまだまだ、不安定な状態が続いていました。

一見、すべての人に平等に人権が与えられたように見えますが、低所得者や労働者階級、農民たちは選挙権を持っておらず、政治に参加しているのはフランス国民の1割にも満たない状況が続いていたのです。

それに、賄賂などが横行する政治は依然として続いていました。

ある程度の所得がなければ選挙権が与えられず政治に参加できない……。そんな状況にしびれを切らした労働者や貧困層、学生が立ち上がり、1848年2月、パリ市内で反乱が起きます。これが「二月革命」です。

七月革命とは別の革命ですが、一連の流れの中で起きた出来事と考えてよいでしょう。

この結果、国王ルイ・フィリップはイギリスに亡命。フランスは再び、新しい政府の在り方を模索することになるのです。

復活した王政への不満と不安が爆発!ヨーロッパ中を巻き込んだ「七月革命」

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フランス革命によって新しいフランスが確立したのかと思いきや、一難去ってまた一難、激動の時代はその後もずっと続いていたとは衝撃的です。権力を持ちすぎると周りが見えなくなり、何のための政治なのか大事なことが見えなくなってしまうものなのでしょうか。政治とは国民のためにあるべきで、小さな不満は沸くかもしれませんが、おのずと進むべき道は見えてくるのでは……というのは素人考えなのかもしれません。「国のトップがこんな振る舞いをすると、こんな結果になるよ」というお手本のような「七月革命」。学ぶことが多いです。

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