レイテ湾沖での戦艦大和の反転とは?
戦艦大和は栗田中将率いる「栗田艦隊」といわれる艦隊の中にあり、敵の補給路線を断つべくレイテ沖でアメリカ艦隊と戦っていました。日本の連合艦隊はアメリカ艦隊と比べて戦艦や空母、航空機の数において大きく差をつけられており、戦力を大きく削がれていました。そのような中、今まで敵艦隊空母からの航空機からの被弾にさらされていた栗田艦隊に、攻撃の手が止む状況がやってきます。それは囮作戦によって仲間の艦隊が敵艦隊を他の方向へ引きつけてくれていたからです。栗田艦隊では戦艦大和と並ぶ大型で主要の戦艦武蔵が敵艦隊により沈没させられてしまいますが、戦艦大和自体は無傷で、そのままレイテ湾沖へ突入する機会が生まれました。戦艦大和の乗組員は誰もがいよいよレイテ湾へ突入するものと思っていたことでしょう。
しかし栗田中将が出した命令はレイテ湾のある南方向への進撃ではなく北方向への反転でした。当然艦内では動揺が見られました。しかし栗田中将いわく、北方にアメリカ艦隊が突如出現したことを知らせる電報が入り、そこへ戦闘に行くために反転したというものであり、退去したのではないため命令違反にはなりませんでした。レイテ湾へ進撃し、上陸している敵部隊に砲撃を浴びせるよりも、敵の戦艦と戦う方が海軍の任務の中でも上位であり、そのための反転であるならば、より重要な戦闘行為への作戦変更であるとみなされたからです。
戦艦大和の反転の原因とは?
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栗田中将が、敵艦隊の北方出現を知らせる電報を受け取ったためとされていますが、本当のところはどうだったのでしょうか。戦艦大和の反転の原因にはさまざまな諸説があります。電報自身はそのような事実はないといわれており、記録も残ってはいません。従って栗田中将自ら虚偽の報告をして、ありもしない北方の敵艦の方へ向かったとされているのが、諸説においての大前提となっており、その上で何故北方へ向かったのかについて諸説があります。「栗田中将が内心において臆病風に吹かれた」や「レイテ湾へ突入しても戦艦大和の負けは確実であり、反転することで海軍全滅を避けたかった」などを中心に都市伝説的なことまで実にいろいろと語られていました。しかし真実は諸説の大前提から異なっていたのです。
北方の米国艦隊は実在し、それを知らせる電報も打たれていた
戦艦大和には実は電報が打たれていたのです。しかもその内容は確かに北方に敵艦隊あり、突撃せよといった内容でした。しかしそれは万が一暗号が解読されて中身が読まれても問題ない内容だったのです。実際の内容は「北方に約束通り打ち合わせの場所を用意した」といった類の、表の文面では絶対に読むことのできない裏の真実を表す電報。そしてその電報の通り突撃した先に、確かに米国艦隊が待ち構えていたのです。もちろん戦艦大和からは砲撃は行われることはありませんでした。こうして戦艦大和は何らかの目的をもって米国艦隊に接触したのです。
戦艦大和が北方の米国艦隊と接触したその理由とは?
戦艦大和が米国艦隊と接触した理由とは、英米海軍と日本海軍との話し合いの密書の交換だったのです。日本海軍の敗北は英米海軍から見て時間の問題でした。海軍の場合は根本的に国境を超えて同士のつながりがあるのです。確かに敵味方別れての戦闘行為はありますが、大きな政治的な動きがどこかに接点を持った形で存在します。特に戦闘中はお互いの国に国賓として出かけるわけにはいきません。従って密約を結ぶのはどうしても海上となります。電報に沿って指定の場所に確かに米国艦隊があり、そこで日本海軍の降参とともに今後の密約が結ばれたのです。
欧米との戦争終結のための接触において当事者となる両国では表向き激戦の中、どうやって終戦の協定を結ぶかという問題が出てきます。打ち合わせをするにしても、第三国に出向いたり、日本国内に来てもらうという選択肢はありえません。こうした状況下ではどうしても洋上で艦隊同士で情報をやり取りする方法しかないのです。
帰還した戦艦大和はトップシークレットの情報を掴んでいた
普通に考えた場合、レイテ湾突撃命令を受けた上で北方の米国艦隊の突撃を理由に戦艦大和が反転し、米国艦隊が実際にはいなかったとなると、これは重大な命令違反です。軍法会議にかけられるのは当然のことでしょう。そして栗田中将は断罪されるはずです。しかし栗田中将は身を保証され、戦後も生き延びることになります。それはむしろ当然のことでした。なぜなら戦艦大和の反転は日本海軍の意思だったからです。もはやこの時期には海軍の艦隊派も条約派も事の全てをわかっていました。ただ表沙汰になった場合、陸軍との絡みもありとんでもないことに発展したことでしょう。五・一五事件や二・二六事件も起こった事実を踏まえ、あくまでも洋上での密約交渉の件は極秘扱いにする必要がでてきていたのです。そして戦後において栗田中将軍は、レイテ湾での反転に関して一切口を割ることはありませんでした。
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戦艦大和の謎の引き返しは海軍の当事者以外にとっては謎であった
戦艦大和の謎の引き返しは軍事戦略で考える以上絶対に理解できないものです。陸軍路線の東条内閣では政府単位での事態の打開は無理であるとわかった以上、海軍の条約派と艦隊派が海軍内の派閥を越えて戦況を把握した結果の苦肉の策といえるでしょう。現代社会においてもトップの謎の意思決定が、意外な戦略に基づくものであったりするのです。
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