ドイツナチスドイツ

ヒトラーに妥協しすぎて失敗した「宥和政策」とは?元予備校講師がわかりやすく解説

ネヴィル・チェンバレンの死

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Ministry of Information official photographer – This is photograph D 2239 from the collections of the Imperial War Museums. , パブリック・ドメイン, リンクによる

1940年5月10日に首相を辞任したチェンバレンは、チャーチルの要請にもとづき枢密院議長に就任します。ドイツとの戦争が激化する中、チェンバレンは体調を崩し1940年10月に枢密院議長を辞任。11月9日に大腸がんのため死去しました。チェンバレンのヒトラーに対する弱腰外交が第二次世界大戦を招いたとし、ミュンヘン会談は直後の評価から逆転。宥和政策の失敗例として後世に語り継がれます。

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