日本の歴史明治明治維新

日本が近代国家になるきっかけとなった「富国強兵」とは?わかりやすく解説

殖産興業

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明治政府が一番力を入れていたのが殖産興業でした。殖産興業は日本の産業を興すという意味が込められており、その名の通り日本の産業を育成する政策を指します。

藩の施設を応用

殖産興業は明治政府から一から行なったものもありますが、基本的には藩がもともと立てていた施設をそのまま応用する場合が多かったです、

代表的な例で言うと横須賀海軍工廠が有名です。この施設は海軍の軍艦などを建造する施設で日本が海軍大国となる礎を築きました。

またイギリス人の鉄道技術者であるモレルの提案を受けて1870年に工部省、1873年に内務省を創設。省の主導のもとで鉄道や汽船など交通網の整備が進んでいき、電信や郵便制度が創設され、鉱山や富岡製糸場といった官営工場の建設を目指していくようになりました。

生糸を生産しよう!

日本が明治時代に製造した代表的なものが生糸。生糸は日本にとってなくてはならない輸出品として世界に人気となっていきます。

日本はお雇い外国人と呼ばれる産業に通じていた外国人を大量に雇って生糸生産のための工場を建造していきました。そして日本はフランスの製糸技術を取り入れて群馬県に富岡製糸場を設立。

仕事を失っていた武士の娘などを中心として雇って蒸気力を使った機械による生糸の大量生産に努めていくようになりました。

最初の頃は外国製品に負けていましたが、いつしか生糸は日本の軽工業の代表格として重要な輸出品としての役割を果たしていくようになりました。

また、ここで製糸技術を習得した工女たちは、その後全国各地に建てられた各地に設立された民間の製糸工場で技術を指導する役割を果たしたのです。

北海道に夢を見て

日本がさらなる発展のために重要視したのが蝦夷地。現在の北海道です。

蝦夷地はもともとアイヌ民族が平和に暮らしていましたが、室町時代から日本人が進出。江戸時代後期に入っていくとロシアとの対抗のために蝦夷地の開発が必要不可欠と言う話となっていき、そして明治時代に入ると本格的に北海道開発に乗り出していくことになるのでした。

蝦夷地は明治時代に入ると最初は函館県、札幌県、根室県の三つの県が設立されましたが、のちに北海道と改められ札幌に開拓使が設置されて開拓事業を行っていくことになります。

政府はアメリカの農業研究家であったケプロンや教育家クラ一クを招いて北海道の開拓に力を注ぎ、土地を失った東北の武士たち移住を奨励して荒地の開墾を進めていき屯田兵制度を実施するなど、農業、炭鉱の開発に巨費を投じました。

北海道の生活は土地の開墾から始まって様々なことを行わなければならないなど大変な事業でしたが、開拓を行った人たちがいたからこそ今の北海道があるのです。

富国強兵の成果

富国強兵がおこなれたことで江戸時代の生活から大きく変わっていき、洋食や洋服が一般化していきこれまでの日本とは全く違う暮らしとなりました。

一方で富国強兵の成果も抜群で1894年に日清戦争に勝利したことで日本は一気に列強の道を歩んでいくことになります。日本は日清戦争の賠償金を元手として北九州に八幡製鉄所を設立。日本の鉄生産も開始されていき、そしてついに1904年の日露戦争で勝利することになります。

このことは日本の近代化の達成と日本の列強化が示されることになり、1911年についに日本は不平等条約の内容の一つであった関税自主権の完全回復を成し遂げることになり、さらには国際連盟が設立したときには常任理事国として活躍していくことになるのでした。

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