アメリカの歴史独立後

今も評価が分かれている「イラク戦争」はどんな戦争だった?わかりやすく解説

イラクの自由作戦

2003年3月19日にアメリカが開戦を宣言すると、ただちに空軍がイラクの制空権を獲得。万全の状態でイラクになだれ込んでいきます。

アメリカ軍はイラクの諸都市を次々と陥落させて首都であるバグダードに進軍開始。鉄道を沿ってどんどん北上していきました。

それに対してイラク軍は反抗しましたが、空爆によってイラク軍の施設や戦車などが次々と破壊。アメリカはこの当時導入していたハイテク兵器を使用して次々と占領を繰り返していたのです。

そしてついに4月にアメリカ軍はバグダードに突入。4月10日にバグダードのフセイン像が倒されてついにフセイン政権が崩壊したと判断しました。

戦闘後の捜索とイラクの夜明け

こうしてフセイン政権は打倒されていましたが、この時一番大切だったことがありました。大量破壊兵器の有無です。イギリスやアメリカなどではこの大量破壊兵器を保有しているから攻撃しているという情報を流しており、これが見つからなければなんのために戦ったのかはわかりません。

軍は必死の捜索を行いますが、大量破壊兵器は見つからず、ついに10月にアメリカが派遣した調査団が「イラクに大量破壊兵器は存在しない」との最終報告を提出。大量破壊兵器は存在していたかったとついにアメリカが認めてしまったのです。

これはイラク戦争後のアメリカとイギリスに大きな影響を与えることになるのでした。

イラク戦争の影響

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イラク戦争によってアメリカはフセイン大統領の打倒に成功しましたが、肝心の大量殺戮や破壊兵器が見つかる事はなく、これがのちにアメリカやイギリスや日本に対してとてつもない影響与えることになりました。次はそんなイラク戦争の影響についてみていきたいと思います。

フセイン大統領の死刑判決

フセイン大統領はイラク北部に潜伏していましたが、アメリカ軍によって逮捕され、死刑判決を受けました。

フセイン大統領は取り調べでこのような行為をした理由を問い詰めるとかつて湾岸戦争でなんだかんだで体制が保たれたのをみてアメリカの攻撃は空爆程度で収まると考えていたため強気の発言をしていたと語りました。

また大量破壊兵器の存在をうやむやにすることで、仲が悪かったイランへの牽制を目指してという供述をしたそうです。

その後2006年12月30日に死刑が執行されました。

ブレア首相の退陣

このイラク戦争で被害を受けたのはイギリスでしょう。アメリカの最大の理解者であったイギリスはフセイン大統領が大量破壊兵器と化学兵器を保有しているとか決め付けており、これが原因で政府関係者が自殺する事件が起こりました。

しかし、イラクに大量破壊兵器も化学兵器もなかったと国民が知ると大激怒。ブレア首相の支持率は大幅に暴落することになり、ついには退陣に追い込まれてしまったのです。

他にもイラク戦争後に批判を受けた国はたくさんあり、例えばデンマーク国防相はイラク戦争後に辞任。ポーランド大統領はアメリカに不快感を覚え、日本の防衛省も「決めつけで戦争を行なったのは間違いであった」と発表したのです。

イラク戦争は大義だったのか?

イラク戦争が大義であったがどうかはイラク戦争の評価をする上では大切なものとなります。イラク戦争後の捜査でイラクが大量破壊兵器を持っていなかったことはイラク戦争の大前提である戦争理由がひっくり返ってしまう内容であるため、アメリカ国内でも大量の非難が巻き起こりました。

ブッシュ大統領は辞任直前のインタビューで「大量破壊兵器を保有していないことを事前に知っていればイラク侵攻に踏み切らなかったのでは」という質問を受けましたが、ブッシュはこの質問に対して明確な回答は控えて一言「興味深い質問だ」と発しました。

そしてもう一つのテロ組織に関するイラクの関係なんてすが、アメリカの国防総省は2008年に「フセインとアルカーイダの関係を示す決定的証拠はない、認められるのはパレスチナ武装勢力との関係のみ」とする報告書をまとめて提出。イラクに対する戦争はいまだに疑問の声が上がっているのです。

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