フセイン政権の残党との内戦
戦争が終わった直後、フセインが逮捕されたのちでもフセインを支持している人たちがイラクを支配しようと立ち上がり、いわゆる内乱状態に突入することになりました。
さらにフセイン政権の崩壊後に起こった混乱によって首都のバグダードは無政府状態に。アメリカは新しい政府を仮に樹立していましたが、それでも内乱は止まることを知りませんでした。
2003年にイラク暫定統治機構が発足してイラクの民主化と治安安定に努めることになるのですが、イラクでは宗教問題もあり、イスラム教のシーア派とスンニ派の対立が激化して内戦状態となっていきます。
2006年4月に入ると、 エジプトやサウジアラビアの重要人物が相次いで「イラクは内戦である」と発言。イラク移行政府が強く反発しましたが、イラク国内はイスラム教のシーア派とスンナ派による抗争が政府の混乱に乗じてヒートアップしていきます、連日テロや大虐殺が行われていました。
それでもイラクではマーリキーによる正式政府がついに発足。フセイン政権崩壊から3年が経過してついに正式な政府が立ち上がったのです。
しかし、それでもテロは治りません。アメリカはテロをおこなった容疑者を空爆によって殺害しきていきますが、イラク政府はこのテロ行為の収拾をつかせることに失敗して相変わらず無政府状態の様相を呈していました。
日本の自衛隊派遣
混乱の最中のイラクに日本は2004年から派遣開始。イラク南部のサマワにて学校の復活や飲み水の安定、さらには病院の建築などを担当していました。しかし、内乱途中のイラクでは自衛隊もテロの対象として見られており、テロ組織によって自衛隊員3名が誘拐される事件が発生。
この事件はイラクの宗教指導者が解放するように命令したことで解放することになりましたが、イラクでは反米感情が激化しており、日本みたいなアメリカの同盟国の軍隊を拉致する事件が横行していました。
その結果日本ではイラクから自衛隊員を撤兵させるデモが発生。結局2006年までイラクに派遣されることになったのですが、国内感情も大きく変化していったのです。
イラクの治安回復へ
こうしてイラクは混乱の状態が続いており、正式な政府が成立してもなお、戦争は終わることはありませんでした。さらにはアルカイダやクルド人勢力などがイラクに乱入していき、内乱が続いている状態に。これにブッシュ大統領は2万人の兵員を増大させるという決議を行い、治安回復に努めていくことになります。
2008年にはイラクの石油生産量は戦前にまで回復し、治安回復も順調に行われていました。
しかし、それてまとシーア派とスンニ派による対立なグルド人の反抗など懸念材料が盛り沢山。さらにはトルコとの対立やアルカイダとの対立と終わることはありませんでした。
イラク戦争の真の終結
時代はブッシュ大統領からオバマ大統領に移った2009年ごろから地道にイラクからの撤退を目指していくようになります。2011年にはオバマ大統領はイラクからの全面撤退を表明。12月に撤退を完了してついにイラク戦争は終結しました。足掛け8年。イラク側の死傷者は50万人を超えており、一方のアメリカも4万人が負傷したとされています。
後味が悪かったイラク戦争
イラク戦争が終結した現在でもイラクは不安定な状態に置かれています。イラク戦争はアメリカが仕掛けた戦争の中でも特に終戦後も非難が湧き上がる戦争であり、反米の国々はこの戦争を取りあげて戦争を非難しているのです。
イラク戦争が果たして正しかったのか悪かったのかは後々の歴史が示してくれるのかもしれません。