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ヨーロッパ人に海賊として恐れられた「ノルマン人」とは?元予備校講師がわかりやすく解説

ノルマン人のアイスランド殖民

航海技術に優れたノルマン人たちは、積極的に大西洋に乗り出しました。ノルマン人たちはスカンディナヴィア半島から西へと船を出し、アイスランドに到達します。新天地を見つけたノルマン人たちは、故郷から仲間を呼び寄せ、アイスランドに殖民しました。

アイスランドにわたったノルマン人たちは、ノルウェー王ハーラル1世従うことを拒否した豪族だといわれます。最初、距離的にも近いスコットランドに根拠地を構えましたが、ハーラル1世の攻撃によりスコットランドを追われ、アイスランドにたどり着きました。

アイスランドのノルマン人たちは、特定の国王を戴かず、話し合いで国の政治を行います。現在の共和国に近い仕組みですね。彼らの話し合いをアルシングといいます。

アイスランドのノルマン人たちは、グリーンランドにも殖民を開始。さらには、北アメリカにも到達しました。ノルマン人(ヴァイキング)が海賊であるだけではなく、勇敢な冒険者だったことがわかりますね。

ノルマン人のつくった諸王国

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9世紀以降、本格的な移動を開始したノルマン人たちは、かつてのゲルマン人たちのようにヨーロッパ各地に攻め込みました。北海周辺ではクヌートの北海帝国が成立。北フランスにはノルマンディ公国ができ、そこからさらにイングランドを征服しました。また、一部のノルマン人はロシアに進出。ノヴゴロド国やキエフ公国を建国します。そればかりか、はるか南の地中海に進出し、シチリアで王国を打ち立てたものも現れました。

クヌートの北海帝国

9世紀以降、デンマークを中心とする地域を支配していたデーン人たちは領土を大きく拡大させていました。10世紀後半、デーン人たちはイングランドを襲撃し、立ち退き料を要求するなど強力な圧力をかけます。

11世紀初め、イングランドが混乱するとイングランドの有力貴族たちはデーン人の王であるスヴェン1をイングランド王として迎えました。1014年、スヴェン1世が急死したため、スヴェン1世の次男であるクヌートがイングランド王となります。

クヌートはデンマークから大軍を率いてイングランドに上陸。アシンドンの戦いで反対派に勝利してイングランドの支配権を固めました。その後、クヌートは兄が相続していたデンマーク本国も支配。隣国のノルウェーとあわせて3カ国の王となりました。クヌートの王国は北海帝国とも呼ばれますよ。

ノルマンディ(ノルマンディー)公国とイングランドのノルマン朝

911年、ノルマン人の首領ロロが率いる一派が西フランク王国に侵攻しました。ロロの侵攻を抑えられない西フランク王は、ロロのキリスト教への回収と引き換えにセーヌ川下流地域をノルマン人の支配地(ノルマンディ)として与えました。これにより、ノルマンディ公国が成立します。

1066年、ロロの子孫であるノルマンディ公ウィリアムは王位継承で混乱するイングランドに兵を率いて上陸。ヘースティングスの戦いでイングランド王を自称していたハロルドを打ち破りました。

1066年12月25日、ノルマンディ公ウィリアムは正式にイングランド王となります。ウィリアムに始まるイギリスの王朝はノルマン朝とよばれました。また、ウィリアムによるイングランド征服はノルマン=コンクェストといいます。

ロシアに出来たノヴゴロド国とキエフ公国

ノルマン人の一部はバルト海を隔てたロシアに進出しました。862年、バルト海からロシアに入ったノルマン人の一派であるルーシ族の族長リューリクは、現地のスラヴ人を征服しノヴゴロド国を建国します。ノヴゴロドはロシア最古の都市の一つで、南方のキエフ方面ともつながりを持ちました。

ノヴゴロドを支配したノルマン人たちはオレーグに率いられ南方に向かいます。目的はビザンツ帝国との交易ルートの確保でした。882年、オレーグたちはドニエプル川中流域のキエフを占領。キエフ公国を建国します。

キエフ公国はノヴゴロド国を併合し、ロシアの中心的な国家に成長しました。10世紀後半のウラディミル1の時代、ギリシア正教を受け入れ、ビザンツ帝国との結びつきを強化。都のキエフは交易の拠点として繁栄しました。

両シチリア王国

ノルマン人たちの中には、故郷を遠く離れたで建国した者たちもいました。その代表が南イタリアにたどり着いた人々です。はじめ、ノルマン人たちは現地の傭兵として雇われました

イスラム軍の侵入に苦しんでいたサレルノ侯国がノルマン人騎士を傭兵として雇い、イスラム軍を撃退したことから、南イタリア諸国は盛んにノルマン騎士たちをスカウトするようになります。

傭兵として雇われたノルマン騎士たちの中には、南イタリアで領地を獲得し領主となるものも現れました。その最たるものがシチリアを征服したルッジェーロ1ルッジェーロ2でしょう。

父であるルッジェーロ1世は南イタリアでノルマン人の勢力を拡大させたロベルト・ギスカルドの末弟です。ルッジェーロ1世はイスラム教徒に支配されていたシチリア島を征服し自分の王国としました。

その子のルッジェーロ2世は周辺諸国を次々と征服。南イタリアとシチリアを合わせた両シチリア王国の王となりました。

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