幕末日本の歴史江戸時代

「藩校」とは一体どんな学校?歴史系ライターがわかりやすく解説

多くの幕末志士を輩出した日本最大の藩校【弘道館】

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Miyuki Meinaka投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

幕末の水戸藩主徳川斉昭が水戸城三の丸に建設したのが「弘道館」です。弘道館への入学年齢は15歳と意外に遅く、「江戸時代の総合大学」といわれるほど多彩な科目が教えられていました。

主要なな科目だけでも「儒学・礼儀・歴史・天文・数学・地図・和歌・音楽」といった学問や文芸があり、「剣術・槍・柔術・兵学・鉄砲・馬術・水泳」などの武芸も充実していたとのこと。また医術製薬なども研究されていたそうですね。まさに日本の最先端をいく教育機関でした。

1841年に斉昭の肝入りで仮開館式が行われ、「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」といった5つの儒学的モットーを中心にスタートしたそうです。とはいえ、それから15年の歳月を要して1857年にようやく本開館式を行いました。

また、他藩の藩校にはない大きな特徴として、15~40歳まで入学資格が定められていました。「学問を志す者に年齢は関係ない」という斉昭の思いが伝わってくるようです。まさに生涯学習を念頭に置いたものでした。

生徒数は最盛期には約1,000人といわれ、藤田東湖武田耕雲斎など歴史上著名な人物たちを輩出していますね。

現存建築物としては、正門正庁至善堂などが国の重要文化財に指定されていて、その他に孔子廟や八卦堂など再建された建物も存在しています。また、藩内の武力抗争だった弘道館戦争を物語る弾痕が、正門柱に生々しく残っていますね。

弘道館跡に佇めば、先進的だった水戸藩の歴史の息吹を感じられることでしょう。

教育が充実していた江戸時代

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日本の歴史の中で、最も政治が安定していた江戸時代。武士だけでなく庶民の間にも広く普及した学問は、人々の生活に大いに役立ちました。識字率が上がったおかげで意思疎通が容易となり、文学や読み物などの文化も花開きました。また各藩が設立した藩校は、より高等的な教育機関として藩の政治に寄与し、物事の秩序や道理に基づく社会規範を根付かせたのです。日本人が美徳とする道徳観念は、こういった思想教育が根底にあったのではないでしょうか。

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明石則実