聖職者になる前のラス・カサス
バルトロメオ・デ・ラス・カサスは1484年にスペイン南部のアンダルシア地方の中心とし、セビリアに生まれました。セビリアは内陸部にある都市ですがグアダルキビル川を使って大西洋に出ることができるため、スペイン海洋進出の拠点となります。
新大陸を発見したコロンブスの船隊が戻ってきたのもセビリアの港でした。スペイン人たちは新たに発見した新大陸を「インディアス」とよびます。インディアスに住む人々といういみで、原住民たちはインディオとよばれました。
1502年、ラス・カサスはインディアスにわたります。そこで目にしたのはスペイン軍による略奪と虐殺でした。ラス・カサス自身も入植者として現在のドミニカ共和国にあるコンセプシオン・デ・ラ・ベガ付近でエンコミエンダ制の大農園でインディオを奴隷として使役します。
司祭就任と反エンコミエンダ闘争の開始
1506年、ラス・カサスは司祭への道を志し、セビリアに戻って下級司祭の叙階を受けました。その後、ローマで正式に司祭に叙されます。1510年、ラス・カサスは再びインディアスに赴き、ディエゴ・コロン(コロンブスの子)のキューバ征服軍の従軍司祭となりました。
スペイン軍の軍事行動は極めて残忍なものでした。抵抗するものは殺害し、インディオの所有物を容赦なく略奪します。聖職者ラス・カサスにとって、その光景はあまりにひどく受け入れがたいものでした。1514年、ラス・カサスは従軍司祭の地位を捨て、農業に専念します。
1514年8月15日、ラス・カサスは自分の所有していたエンコミエンダの農園を放棄。インディオたちを解放しました。その上で、エンコミエンダ制の廃止を訴えるようになります。事実上の奴隷化を伴うキリスト教の布教ではなく、平和的にインディオたちにキリスト教を布教すべきだと考えたからでした。
インディオ解放の訴え
1516年、ラス・カサスはスペイン本国の政府に対し、インディオ問題の解決を訴えました。インディオたちを奴隷的立場から解放し、契約にもとづく労働者・パートナーとするものです。
この考えは、当時流布していた人文主義(ヒューマニズム)の考えに合致していました。ラス・カサスはエンコミエンダ制を一気に廃止するのではなく、段階的に廃止してインディオを解放しようとしたのでしょう。
ラス・カサスたちはキューバでエンコミエンダ制の廃止実験をおこないます。しかし、入植者たちの反対や飲酒を覚えたインディオたちの反発などもあって実験は失敗しました。
ラス・カサスたちは実験失敗後もエンコミエンダ制廃止をあきらめません。ラス・カサスは新国王カルロス1世(カール5世)の宮廷に入り、インディオ解放運動を熱心に続けました。
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『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
1526年、ドミニコ会の修道士となっていたラス・カサスは、エスパニョーラ島に新しくできた修道院の院長となりました。ラス・カサスはインディアスで起きているスペイン人による目に余る行為をスペイン本国のインディアス評議会に報告し続けます。
ラス・カサスの訴えは徐々に広がりを見せ、1537年にはローマ教皇パウルス3世がインディオの奴隷化を禁止する命令を出しました。
1540年、ラス・カサスはスペインに帰国します。帰国の目的は、インディアスの現状を国王カルロス1世に報告することでした。報告を聞いたカルロス1世は、インディアス評議会を開催します。この時、評議会に提出するためラス・カサスが書いたのが『インディアスの破壊についての簡潔な報告』でした。
報告の中でラス・カサスは、スペイン人の入植以来、インディオたちが残虐に殺されていること、それによりインディアスが荒廃していることなどを訴えます。
インディアス新法に対する入植者たちの反発
ラス・カサスの訴えにより開催されたインディアス評議会において、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』が提出されると、評議会内部でもエンコミエンダ制に対する批判が相次ぎました。
1543年、インディアス新法が制定されます。これにより、インディオの奴隷化禁止やエンコミエンダ制の廃止などが定められました。ラス・カサスの運動が実を結んだといってよいでしょう。
しかし、これに納得できなかったのはエンコミエンダ制でインディオたちを使役しているスペイン人入植者たちです。彼らはインディアス新法に一斉に反発。各地で反乱を起こしました。
スペイン本国は反乱収拾のため、インディアス新法からエンコミエンダ制廃止の部分を除外します。現地の強硬な反対により、インディアス新法は事実上葬り去られました。
ラス・カサスの評価
1551年、ラス・カサスはドメニコ会神学院でインディオ解放のための啓蒙運動や執筆活動に専念します。1566年、ラス・カサスはアトーチャ修道院で生涯を終えました。インディオの代弁者としてインディオの権利を保護したとの評価がある一方で、スペイン人の誇りを傷つけたとして祖国に対する裏切り者だとも評されます。しかし、ラス・カサスの「世界のすべての民族はみな人間」とする考え方は現代でこそ高く評価されるべきではないでしょうか。