日本の歴史昭和

戦後日本の政治の原則「55年体制」はどんな体制?わかりやすく解説

自民党の失墜と細川内閣の成立

こうして自民党は安定した成長を、社会党はジリ貧の様相を呈していきましたが、自民党は1955年の成立以降ずっと与党として政権をにぎっていました。

しかし、その弊害が1980年代後半に入りだすと長期政権の腐敗という形で現れていくようになります。例えば1989年に消費税の導入を行ったことによって自民党の圧倒的有利な状態に陰りが見え始めていくようになりました。

さらには1988年に竹下登内閣で未公開株を大物政治家に贈る収賄事件であるリクルート事件や金丸信副総裁の東京佐川急便事件といった政権を揺るがす汚職事件が起きていき、さらには竹下登の跡を継いだ宇野宗祐も女性スキャンダルで問題を起こしてしまい、国民の政治不信を招いていくようになります。この結果女性スキャンダルが起こった直ぐの参議院選挙でついに自民党は過半数割れ。土井たか子によるマドンナ旋風によって社会党は一気に盛り返していくようになりました。

その後、自民党はなんとか政権を維持したものの、宮沢内閣のときに内閣不信任決議が可決しその時行われた衆議院選挙で自民党は大惨敗。ついに衆議院でも過半数を割ってしまったのです。

そのため自民党内では離反者が続出。自民党の有力者だった小沢一郎らが作った新生党や、元熊本県知事の細川護熙が作った日本新党といった新党が次々と乱立していきいわゆる新党ブームの時代に突入していくことになりました。

こうして見事に新党ブームのあおりを受けた自民党は建党初の野党に転落してしまい、そのかわりに非自民の日本新党、新生党、日本社会党、新党さきがけ、民社党、公明党、社会民主連合、民主改革連合の7党が連立内閣という形で細川内閣が成立。

さらに55年体制の原因の一つになっていた選挙制度も中選挙区制から政権交代が起きやすい小選挙区比例代表並立制へと変えられました。

これによって1955年から脈々と受け継がれてきた55年体制は崩壊したのです。

55年体制は日本の政治を変えていった

image by PIXTA / 50510027

55年体制の時代は基本的には安定した政権が続いていたため、日本は安定した成長を続けていくことになります。

55年体制は日本の政治を動かしたシステムだったのですね。

1 2 3
Share: