幕末日本の歴史江戸時代

歴史のターニングポイントとなった「二条城」を歴史系ライターが解説!見どころスポットも

二の丸庭園

NijojoGarden3317.jpg
Fg2 – Self-published work by Fg2, パブリック・ドメイン, リンクによる

この二の丸庭園も、後水尾天皇の行幸の際に改修され生まれ変わったお庭です。作事奉行は小堀遠州でした。遠州は著名な大名茶人のみならず、桂離宮仙洞御所などの庭園造営も手掛ける芸術家であり、後水尾天皇お気に入りの人物でした。

池を中心とした書院造庭園であり、池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した構造になっています。本来なら二の丸御殿方向から鑑賞するために造られましたが、後水尾天皇の行幸の際は逆向きに行幸御殿が建てられたため、反対側からの鑑賞にも配慮した造りとなっていますね。

非常に芸術的価値が高いため、国の特別名勝として指定されているのです。

本丸御殿

本来の本丸御殿は、1788年の大火によって焼失し、江戸時代には再建されませんでした。しかし明治となった1893年に旧桂宮邸の御殿が移築され、貴重な宮家の御殿建築の遺構として国の重要文化財に指定されています。

孝明天皇の仮皇居としても使用されたほどですから、非常に由緒のある建造物だといえますね。確かに武家建築とは異なる風情は、二条城の中でも異彩を放つようですね。

また本丸御殿南側の本丸庭園は、明治天皇の行幸の際に、枯山水庭園から大改修したもの。築山を造り、芝生を敷き詰めた優美な庭園は、まるで季節の移ろいや風情を感じさせてくれるようです。

清流園と香雲亭

image by PIXTA / 41613605

二の丸御殿から北側に位置し、江戸時代には二条在番の宿舎がありました。明治以降は苑地になっていたそうですね。

戦後、京都の豪商だった角倉家の屋敷から、たくさんの建築部材や石材、銘石、樹木などを譲り受けて1965年に完成した庭園です。

和風庭園と洋風庭園が折衷したような珍しい造りになっていて、角倉了以の屋敷にあった茶室を移築した香雲亭や、茶会に利用される和楽庵といった2棟の建物が風景に溶け込むように配置されています。

天守台

二条城天守跡.jpg
GFDL, リンク

” target=”_blank”>

現在の二条城に天守はありませんが、土台となった天守台は現存しています。創建当時の天守は望楼型の五重天守で、大和郡山城から移築されたものとも。そして1624年の二条城大改修の際に、近隣の淀城へ再び移築されたとされています。

その後、廃城となった伏見城から五重天守が移築されてきましたが、1750年に落雷によって焼失。その後は再建されることなく現在に至っています。

天守台の大きさからすれば、江戸城や名古屋城、大坂城のほうがはるかに大きく、少しこじんまりとした感じでしょうか。

天守台に登れば、本丸御殿や庭園、京都の町並みを見渡すことができ、心地よい風を感じられる気持ちの良い場所になっていますね。

京都にあったからこそ破壊されずに残った二条城

image by PIXTA / 46212181

明治時代になって、日本全国のたくさんの城が破壊されていきました。「廃城令」によるものですが、歴史的に重要な建造物が次々に取り壊されていったのですね。しかし二条城はほぼ完全な形で残りました。やはり京都という立地がそうさせたのではないでしょうか。街路に溶け込むような縄張りのおかげで市街地化を免れましたし、壮麗な御殿建築は皇室の別邸とするのに最適でした。そして京都の町が良い意味で観光地化していったことも、大きな理由の一つだったのでしょう。ぜひ訪れて頂きたいスポットなのです。

1 2 3 4
Share:
明石則実