日本の歴史飛鳥時代

飛鳥時代の天皇にはどんな人がいた?何した?元予備校講師がわかりやすく解説

壬申の乱で勝利した天武天皇と、天武の志を継いだ持統天皇

671年、天智天皇が亡くなると、子の大友皇子が天皇に即位しました。しかし、大海人皇子はこれを認めず、引退先の吉野を脱出して兵を集めます。大海人皇子の動きを知った大友皇子は兵を集めて大海人皇子を討とうとしました(壬申の乱)。

一方、大海人皇子は大友皇子の追手が来る前に東国に脱出。兵を整え大友皇子軍を迎え撃ちました。大海人皇子の動きをとらえきれなかった大友皇子軍は完全に後手となり、次第に追い詰められます。最後は、大津宮が陥落して大友皇子は亡くなりました。

大海人皇子は天皇に即位し、天武天皇となります。武力を背景とした天武天皇は、天智天皇以上に、強力な中央集権国家を目指しました。天武天皇が志半ばで亡くなると、妻の鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)持統天皇として即位。天武天皇の政策を引き継ぎ、飛鳥浄御原令藤原京を完成させました。

飛鳥時代後半に出来上がった天皇中心の国は、奈良時代の律令国家に引き継がれた

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701年、文武天皇は日本最初の律令である大宝律令を制定します。これにより、天皇中心の政治の仕組みが出来上がりました。710年には都を飛鳥地方から奈良の平城京に移します。いご、およそ80年にわたって平城京を中心とする政治が行われました。律令に基づく政治が行われた奈良時代の基盤を作ったのは、飛鳥時代の天皇たちだったのですね。

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