南チロル問題
第一次世界大戦が終結し、オーストリアはイタリアとの間でサン=ジェルマン条約を結びました。この条約で両国の係争地となっていた南チロルは、イタリア領とされます。南チロルはオーストリアとイタリアを結ぶ交通上の要地であり、ドイツ人も多く住む土地でした。
第一次世界大戦後、ムッソリーニ政権は南チロルのイタリア化を図ります。具体的には、ドイツ語の使用を禁止しました。
第二次世界大戦後、ムッソリーニ政権が崩壊したのを受け、オーストリア政府は南チロルでの住民投票を要求します。しかし、アメリカ国内のイタリア系市民の感情を考慮したアメリカ政府はオーストリアの要求を拒否。国境変更を認めない姿勢を示しました。現在でも、ドイツ系住民にはイタリアからの独立を図る動きが見られます。
EU統合により、国境紛争は表面化しにくくなった
第二次世界大戦後、フランス・イタリア・ドイツ・ベルギー・ルクセンブルク・オランダが中心となってヨーロッパ統合の動きが進みました。EU(ヨーロッパ連合)成立後、各国の国境は開かれ、通貨は共通となります。行き来が自由になることで、以前より、国教に対する意識は低くなったかもしれません。しかし、移民問題やコロナウィルス問題などで再び民族主義が強まれば、未回収のイタリアのような領土問題が再燃するかもしれませんね。
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