西郷家の13頭の犬たち
征韓論で敗れて東京を離れ、故郷の鹿児島へ戻った西郷さん。そこでもかなりの数の犬たちと暮らしていました。その中で名前がわかっているのが13頭。その犬たちと指宿の鰻温泉へ通ったという記録が残っています。
「シロ、サワ、ゴン、テツ、クロ、ツン、ユキ、ゴジャ、ハヤ、ツマ、カヤ、ブチ、トラ」
おそらく毛並みや見た目で名付けられたのでしょうが、その中でもゴジャは「攘夷家」という意味だそうで、外国人だけに吠える気質だったそうです。
13頭の中にツンという薩摩犬がいますが、西郷の一番のお気に入りだったとのこと。現在の薩摩川内市東郷町にある藤川天神に参拝に来た時のこと。たまたまツンと出会い、一目ぼれし、飼い主の前田善兵衛さんに譲ってくれとお願いをしたそう。
結局、西郷さんに飼われることになったツンですが、故郷が恋しくなったのか東郷町に2度も逃げて帰ってきたというエピソードがあります。しかしウサギ狩りがすごくうまい犬だったようで、西郷さんと毎日のように狩りに出かけていたそうです。
ちなみに薩摩川内市イチオシのご当地ゆるキャラは「西郷つん」といい、「ゆるキャラグランプリ2019」では第15位に入っていますね。見た目がほぼ柴犬なのが微笑ましいです。
愛犬とともに出陣した西郷さん
西郷さんの最後の戦いとなった西南戦争。若い士族たちに担ぎ上げられて出陣しますが、西郷さんは愛犬2頭(3頭という説も)と戦陣に加わることになりました。黒毛とカヤ毛の犬だったことが記録されていますが、先ほど紹介した13頭のうちの「クロ」と「カヤ」のことかと思われますね。
戦闘の最中、西郷さんは戦線の後方にいて戦況を見守っていました。そして戦陣の中でも愛犬たちとの狩りは欠かさなかったそうです。いわゆる趣味や遊びではなく、絶えず自らを鍛えておくための訓練だったといえるでしょうか。
1万3千を越す勢力だった西郷さん率いる反乱軍でしたが、熊本はじめ田原坂でも新政府軍に敗れ、勝機を見い出せなくなってしまいました。そしてついに宮崎県の延岡まで転戦してきた時に、軍の解散を命じます。
犬と運命を共にすることが偲びない西郷さんは、ここで2頭の愛犬を解き放つことにしました。それまで共に暮らしてきた犬たちは、西郷さんとの別れを惜しみ、いつまでも近辺をウロウロしては鳴き続けていたそうです。犬が何より大好きだった西郷さんの思いたるや、想像できないほど寂しさに満ち溢れていたことでしょう。
その後、犬たちは1頭は保護され、もう1頭は行方不明になったといわれていますし、当時の新聞記事によれば、2頭とも保護されて船で神戸へ向かったともされていますね。
西郷さんと犬にまつわるスポットをご紹介
西郷さんと犬たちとの足跡は、鹿児島県内のあちこちに残っています。最後に「西郷さんと犬にまつわるおすすめスポット」をご紹介していきましょう。
霧島市立国分郷土館
昭和54年に開館し、霧島市にまつわる歴史史料や民俗資料など数多くの文化財が収蔵されています。また朱印状、止上神社の面、環頭太刀、城山山頂遺跡出土品、国分たばこなど地域に根付いた品々が常設展示されていて、。国分郷土史年表から国分の歴史を知ることができますね。
西郷さんに関しての資料も充実しており、本人の直筆による漢詩も展示されています。中でも国分出身の日本画家服部英龍が描いた「南洲翁狩姿」は有名なもの。着流し姿の西郷さんが愛犬と狩りをしているかのような構図です。
たまたま西郷さんが霧島の日当山温泉に滞在していると聞いて出かけていき、物陰から盗み見しながら描いたとされるため、最も本人の特徴を表しているとも。
また、素晴らしい犬を飼っていた大庭貞次郎という人に、犬を譲ってほしいとお願いした西郷さんが、そのお礼として定次郎さんに贈った猟銃も展示されていますね。銃の入っていた箱には「贈大庭定次郎君猟銃 西郷吉之助」と直筆で書かれています。
所在地:霧島市国分上小川3819
TEL:0995-46-1562
開館時間:午前9時~午後5時
休館日:月曜日(祝日の場合はその翌日)12月29日~翌年1月3日
入館料:大人・大学生130円、小・中・高校生70円
愛犬ツンの銅像
西郷さんの求めに応じて、ウサギ狩りがうまい愛犬ツンを献上したのは、東郷町藤川に住む前田善兵衛でした。
薩摩犬ツンは、ピンと立った耳と左尾が特徴のメスで、平成2年のNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」の放映を機に建立されました。この銅像は、藤川天神の階段を上がった参道脇に建立されています。
狩猟犬らしい、そして日本犬らしい凛々しさを感じる立ち姿になっていますね。
所在地:鹿児島県薩摩川内市東郷町藤川 藤川天神境内
西郷隆盛御座石
明治7年頃、愛犬たちを連れて狩りをしていた西郷さんが、たびたびこの石に腰かけては休憩していたそうです。休んでいると、西郷さんの姿を認めた村人たちがやって来て、みんなで西郷さんの話を聞いたのだとか。
また近くには西郷さんが手作りしたといわれる「手水鉢」が現存しています。吹上・坊野地区は西郷さんが気に入って頻繁に訪れた土地ですし、自分で開墾して宅地を建て、坊野に住んだこともあるそうです。
西南戦争の際には、西郷さんの妻糸子さんが戦火を避けて避難してきた土地でもありますね。そういった意味では、西郷家ゆかりの地だといえるでしょう。
所在地:鹿児島県日置市吹上町永吉