ヨーロッパの歴史

テンプル騎士団って何?十字軍の歴史と一緒に元予備校講師がわかりやすく解説

本来の目的を逸脱した第四回十字軍

13世紀初め、ヨーロッパではローマ教皇の権威が最高潮に達していました。時の教皇はインノケンティウス3です。彼は、「教皇は太陽、皇帝は月」と明言し、教皇権が絶対であると主張していました。

インノケンティウス3世は、ローマ教会の威厳を見せつけるため第四回十字軍を編成。パレスチナに向かわせました。

ところが、第四回十字軍は金銭的な余裕がない状態で始まってしまったため、船を提供したヴェネツィアに船賃を支払うことができません。

ヴェネツィアは「ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを攻め落としてくれたら、船賃はまけてやる」といいました。お金がない第四回十字軍はこれを受け入れ、コンスタンティノープルを攻め落とします

ヴェネツィアの目的は、地中海随一の都市であるコンスタンティノープルを占領することで、東方貿易を独占することでした。

十字軍国家の滅亡と騎士団のパレスチナ撤退

十字軍運動は13世紀になっても続いていました。特に、第6回と第7回の十字軍はカペー朝フランスの王ルイ9世が中心となって実行されました。ルイ9は、イスラム教の大勢力であるアイユーブ朝エジプトや北フランスのチュニスを攻撃しますが失敗に終わります。

十字軍が迷走したことにより、西からの援軍を得られなくなったパレスチナの十字軍国家は周辺のイスラム勢力に圧迫され、一つ一つ滅ぼされました。1291年、十字軍国家の最後の砦となっていたアッコンが陥落し、十字軍国家は滅亡しました。

エルサレム陥落後、アッコンに拠点を移していたテンプル騎士団は、アッコン陥落により本拠地をキプロス島に移します。その後、テンプル騎士団の軍事活動は縮小し、活動の舞台をヨーロッパに移しました。

テンプル騎士団の解散

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テンプル騎士団は、ローマ教会によってさまざまな特権を与えられていました。入団する騎士たちが寄贈した広大な土地からの収入もあったので、テンプル騎士団はとても裕福な団体として存続します。テンプル騎士団の存在に警戒感を持ったのがフランス王フィリップ4世。フィリップ4世はローマ教皇に働きかけ、テンプル騎士団を解散させます。テンプル騎士団の名誉が回復されたのは近年のことでした。

強大化するフィリップ4世

14世紀後半、フランスはフィリップ4によって統治されていました。フィリップ4世は、官僚制度を整え、権力を国王に集める中央集権を目指します。十字軍によって大貴族である諸侯や中小領主である騎士たちの力は大幅に低下していたので、フィリップ4世としては中央集権を進めるチャンスだったのでしょう。

フランス国内の諸侯と戦いを繰り返していたフィリップ4世は、戦費調達のため教会や修道院に課税しようとします。これにより、ローマ教皇ボニファティウス8と対立しました。

1303年、身分制議会である三部会で国内の支持を取り付けたフィリップ4世は、アナーニ事件で教皇を憤死させると、1309年にはローマ教皇庁を南フランスのアヴィニョンに移してしまいます(教皇のバビロン捕囚)

テンプル騎士団の解散

フィリップ4世にとって気がかかりだったのは、広大な土地と教会から与えられた特権に守られたテンプル騎士団の存在です。アナーニ事件や教皇庁のアヴィニョン移転で教会勢力に対し優位に立ちつつあったフィリップ4世は、テンプル騎士団の壊滅をはかりました

フィリップ4世が騎士団に目を付けたもう一つの理由は、騎士団が持つ財産です。フィリップ4世は多年にわたる戦争で財政難に苦しんでいました。財政難を一気に解決する手っ取り早い方法として、テンプル騎士団の財産没収を狙っていたのでしょう。

フィリップ4世は、アヴィニョンのローマ教皇クレメンス5に圧力をかけ、テンプル騎士団員を逮捕させます。捕らえられた騎士団員は「異端審問」にかけられました。騎士たちは激しい拷問にかけられ、偶像崇拝や同性愛などについて告白させられます。

異端審問の結果、テンプル騎士団総長ド・モレー以下、主要な団員は火刑に処せられ、テンプル騎士団の財産はフィリップ4世によって没収されました。

テンプル騎士団にまつわる伝説

テンプル騎士団は、フィリップ4世によって突然滅ぼされた悲劇の騎士団となりました。騎士団潰滅後、さまざまな伝説が人々によって語り継がれます。伝説の多くは、エルサレムの神殿とのかかわりから語られました。

キリスト教世界で伝説的な宝物がいくつかあります。そのうち、テンプル騎士団と結びつけられがちなのは聖杯聖櫃でした。日本人にもよく知られているのは聖杯に関する伝説でしょう。

聖杯はキリスト教の儀式である聖餐の時に使われる盃です。特別視される聖杯はイエスと12使徒たちが最後の晩餐で使ったとされる聖杯。イギリスやフランス、ドイツなどでは聖杯を探し求める騎士たちの物語(聖杯伝説)が語り継がれました。テンプル騎士団の伝説もその一つですね。

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