小国乱立時代・政治より力を持つカトリック教会
5世紀、ゲルマン系の東ゴート族が、東ローマ皇帝ゼノンの命を受けたという形で東ゴート王国を建国します。
しかし6世紀にはこれが東ローマ帝国に滅ぼされてしまうという混乱ぶり。
751年にはやはりゲルマン系民族によってランゴバルド王国が誕生。イタリア半島の北半分をほぼ制圧します。
しかしこの国もイタリア半島全土を支配するには至らず、756年、現在のフランスのあたりを中心に勢力を伸ばし続けていたゲルマン系のフランク王国に乗っ取られてしまうのです。
そのフランク王国も834年、東西中の3つに分裂。北イタリア地域も統治することになった中フランク王国が、後にイタリア王国となります。
北イタリアがフランク王国の支配下に置かれていたころ、南部も混乱を極めていました。
まず、かつて栄華を誇ったローマを中心とした中部イタリアは、カトリック教会の影響を強く受け、各地に教皇領と呼ばれる管轄地ができていました。
南イタリアは、東ローマ帝国やイスラム勢力など東方から侵攻を受けます。
東西に細長いイタリア半島。この後も数多くの内外勢力が入り込み、入り組んだ混迷の時代が続くことになるのです。
多くの芸術家を輩出したルネサンス時代
14世紀から16世紀、イタリア半島は大きく分裂した状態のままでしたが、ローマやフィレンツェなどの都市を中心に、美術や文学など、様々な文化芸術が花開いていきました。
世にいうルネサンス時代です。
特に多くの芸術家たちを輩出したのが北イタリアの都市・フィレンツェ。この街にはメディチ家という名家があり、レオナルド・ダヴィンチやミケランジェロなど、名だたる芸術家たちのスポンサーになっていました。
ルネサンスとは、ゲルマン民族の侵入やローマ教会の支配などの影響でイタリア半島にもたらされた混沌から脱出しよう、暗黒から人間を解放しよう、という人々の意識から生まれたものだ、との見方もあります。こういう時代だからこそ、鮮やかな文化芸術、新しい思想などが次々誕生したのかもしれません。
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なおも続く混迷期・ナポリ侵攻とイタリア戦争
15世紀後半に入っても、イタリア半島の分裂状態は続きました。
このころになると、ヨーロッパ大陸にはフランスやスペインなどの大国が成立し、政治的にも軍事的にも大きな力を持つようになります。
1494年、フランス王シャルル八世が、当時南イタリアにあったナポリ王国の王位継承を主張して侵攻を開始。その後もたびたび、フランスとスペイン(神聖ローマ帝国)がイタリア半島に侵入して衝突し、何年ものあいだ、戦争が繰り返されます。世にいう「イタリア戦争」です。
その昔、広大な領地を所有していたため、ヨーロッパのあちこちに、イタリア半島に縁を持つ王族や貴族が点在しています。シャルル八世もそのうちの一人。イタリア半島はフランスとスペインの勢力争いの場となっていくのです。
度重なる戦争の末、イタリア半島のほとんどがスペインの支配下に入ります。
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イタリアの歴史(3)近世~イタリア統一へ
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17世紀に入っても、まだ「イタリア」という国の姿は見えていません。長引く混乱期。小国が誕生しては分裂し、消滅し、また別の国が成立するという混迷期が続くだけで、イタリア半島統一までの道のりはまだまだ遠いです。そろそろ何とかしなければ……。イタリアの歴史のその後、追いかけてみましょう。
大航海時代の幕開けとともに変わるヨーロッパの構図
イタリアは、地中海に大きく突き出すという地の利があり、古代より交通の要衝として栄えてきました。スペイン支配のもと、今後も海路を活かして発展していく予定でしたが、時代は大きく変わっていきます。
大航海時代の到来です。
オランダやポルトガルなど大西洋に面した国々が、大型の船を造り、大海原へと漕ぎ出していきます。
目指すは新天地。アフリカやインド、アメリカ大陸などで、ヨーロッパにはない珍しい品々を買い付け、大儲け。領地も広げていきます。
これにスペインも参戦。時代は地中海から、外洋へ。それまで重要視されていなかった大西洋側の町が、経済の中心都市へと発展していきます。
大西洋に面していないイタリアは……。すっかり置いてけぼり。イタリア半島各地の経済は落ち込んでしまいます。
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ナポレオンの台頭と敗北・ウィーン体制時代
混迷のイタリア半島。今までさんざんゴタゴタしていたのに、ここから一気に事が進みます。
18世紀。北イタリアで勢力を持ち始めていたサヴォイア公国がサルデーニャ王国を建国します。
そしてフランス軍の将軍・ナポレオンが1796年にイタリアに侵入。どんどん南下していきます。
ナポレオンは勝ち取った領地に、ミラノを中心としてイタリア共和国を建国。自ら大統領に就任します。ナポレオンが皇帝になるとイタリア王国となり、イタリア半島はほぼ、ナポレオンの支配下に。ええっ?ナポレオンかよ!とツッコミたくなりますが、とにかくいったん、イタリア半島はひとつにまとまります。
ナポレオンのフランス軍がオーストリアに敗れると、イタリア半島は再び分裂。ローマは教皇領に戻り、サルデーニャ王国やトスカーナ大公国は復活しますが、そのほかの地域のほとんどがオーストリアの支配下に。イタリアは厳しい弾圧を受けることとなります。
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