安土桃山時代室町時代戦国時代日本の歴史

栄華を極めた後北条氏の落日を見た「北条氏直」波乱万丈の30年の生涯をわかりやすく解説!

武田氏とのせめぎ合いと武田滅亡後の混乱

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武田氏とは同盟とその破棄を繰り返した氏直と父・氏政ですが、武田勝頼織田信長に滅ぼされ、その信長も倒れると、旧武田領の獲得に乗り出します。しかし、同様にそこを狙っていたのが徳川家康でした。そして「天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)」に突入しますが、勝敗がつかないまま和睦となります。その後、台頭してきた豊臣秀吉の発した惣無事令(そうぶじれい)により、氏直は領地拡大をストップされてしまうこととなりました。

家督相続と武田氏との対立再燃

元亀2(1571)年、祖父・氏康が亡くなると、父・氏政は方針を転換し、武田との同盟を復活させました。

そして天正5(1577)年、氏直は元服し、初陣も果たします。それから3年後には、早くも家督を父から譲られました。まだ19歳です。

当主になったとはいっても、これはまだ形式上のこと。父・氏政は健在でしたから、実権も父の手に握られていました。

早くに氏直が家督を継いだのは、織田信長との同盟と、実現はしませんでしたがその娘との結婚が予定されていたからだそうです。氏直を当主として、関係強化を図っていたのですね。

ただ、状況はめまぐるしく変わります。上杉謙信の後継者争いとなる「御館の乱(おたてのらん)」が起きたのですが、氏政と氏直は、後北条氏出身の上杉景虎(うえすぎかげとら)を支持し加勢しました。信玄の跡を継いだ武田勝頼(たけだかつより)は当初景虎を支持しましたが、その後景勝方に転じ、これで後北条氏と武田氏の対立が再燃したのです。

武田滅亡、信長の死の混乱の中で

天正10(1582)年、信長は甲州征伐を開始し、武田氏を滅亡に追い込みます。ところがその信長も直後に本能寺の変で倒れてしまいました。

武田滅亡後、旧武田領を任されたのは織田家臣の滝川一益(たきがわかずます)河尻秀隆(かわじりひでたか)でしたが、まず河尻秀隆が殺害されてしまいます。そして残った滝川一益はまだ統治基盤が盤石ではなかったため、そこに氏直と氏政は目を付けたのです。

どちらかといえば、後北条氏の勢力は小田原を拠点とした南関東が中心。対する滝川一益は上野(こうずけ/群馬県)や信濃(しなの/長野県)を支配していましたから、領土を拡大するのには格好のチャンスだったのです。

そして、氏直は叔父・氏邦(うじくに)と共に上野に侵攻し、滝川軍と神流川(かんながわ)で激突しました。

神流川の戦いと天正壬午の乱

氏直率いる後北条勢は約5万、対する滝川勢は約1万8千。戦いは後北条方の勝利に終わりました。そして氏直はそのまま信濃に侵攻しますが、今度は旧武田領を狙う徳川家康と対立することになります。これが「天正壬午の乱」ですが、戦況は一進一退。こう着状態に陥り、これ以上の消耗は無駄だと判断した氏直は、家康との和睦を選びます。

この和睦により、上野は後北条氏のものとなり、甲斐(山梨県)と信濃は家康のものとなりました。そして、家康の娘・督姫(とくひめ)との結婚が決まったのです。

こうして、氏直は進出先を北関東に定め、下野(しもつけ/栃木県)や常陸(ひたち/茨城県)をターゲットとしたのでした。

しかし、それからしばらくして、信長に代わり天下統一に進み始めた豊臣秀吉が、惣無事令を発令します。これは大名同士の私的な戦いを禁じたもので、これによって氏直は北関東進出に待ったをかけられた形となったのです。

小田原征伐に屈し、後北条氏の栄華は終わる

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秀吉との対決が避けられなくなり、氏直は軍備を固めます。そして始まった秀吉による小田原征伐ですが、秀吉の大軍の前に、氏直は籠城戦を続けることを諦めました。そして、自分の命と引き換えに兵たちを助けてくれるよう願い出て、降伏します。ただ、氏直は意外にも命を助けられることになりました。彼がどんな最期を迎えたのか、見ていきましょう。

秀吉との対決に備える

豊臣秀吉の惣無事令に対し、氏直や氏政は、秀吉との対決を視野に入れた軍備増強を開始し、城の普請なども行いました。一説には、父・氏政が強硬に対決を主張したとも言われています。

ただその一方で、氏直は叔父・氏規(うじのり)を上洛させ、秀吉との交渉の席につかせました。秀吉の力がどれほどのものが、氏直は理解していたのでしょう。その上で、なんとか対決を避けられないかという道も探っていたようです。

しかし、それさえも一気にぶち壊す事態が勃発してしまいました。氏直の家臣・猪俣邦憲(いのまたくにのり)が、真田家臣が守る名胡桃城(なぐるみじょう/群馬県利根郡みなかみ町)を奪ってしまったというのです。

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