フランスブルボン朝ヨーロッパの歴史

絶対王政を確立したのになぜか影が薄い「ルイ13世」このフランス国王をわかりやすく解説

激動の時代を生きたルイ13世ゆかりの地とは

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フランスでは知名度も人気も低いといわれているルイ13世ですが、こうしてみると、厳しい決断を重ねながら強い国王を目指していたことがよくわかります。とはいえ、アンリ4世とルイ14世に挟まれてしまってはどうしようもない、といったところでしょうか。そんなフランス王をしのんで、そんなルイ13世ゆかりの地をいくつかご紹介いたします。

歴史的建造物:フォンテーヌブロー宮殿

フランスの宮殿というとベルサイユ宮殿が有名ですが、あれはルイ14世が築かせたもの。ルイ13世の時代までフランス王室の城といえば、広大な敷地を持つフォンテーヌブロー宮殿でした。

ルイ13世はこの宮殿で産まれています。フランスで最も大きな宮殿なのだそうです。

ベルサイユがルイ13世の狩場であったという話はよく耳にしますが、フォンテーヌブロー宮殿ももとはといえば狩猟に適した沼地でした。

ここに12世紀頃、王室のための住居や施設などが建てられるようになります。

たとえ日帰りできる距離であったとしても、高貴な身分の人たちが狩りを楽しむなら休憩施設が必要になりますので、狩場が城や宮殿に発展するケースは決して珍しくなかったようです。

そして、ここに歴代の王たちが、様々な施設を増設。16世紀半ば、アンリ2世の時代に巨大宮殿へと改築されています。

宮殿の中心部、中庭に面した「馬蹄型の階段」は、ルイ13世の時代に改築されたものなのだそうです。

前身はルーブル宮:ルーヴル美術館

もはや語る必要もないほど、フランスで最も有名な観光スポット「ルーブル美術館」

ルーブル美術館はもともと、ルーブル宮と呼ばれる宮殿でした。

ルイ13世はここで死去したといわれています。

ルーブル宮は、12世紀頃築かれた城塞。石造りの強固な城だったのだそうです。その城を歴代のフランス王が増改築し、要塞から一転、優美で華麗な城へと変貌させていきました。

アンリ4世の時代に、ルーブルは敷地を拡大。回廊を持つ巨大な宮殿へと生まれ変わります。造営はルイ13世の時代へ引き継がれ、やがてルイ14世へと受け継がれていったのだそうです。

フランス革命の後、ルーブルは王室のものではなくなり、美術館として一般に開放されるようになります。

所蔵品の中には、若き日のルイ13世の肖像画もあるのだそうです。

歴代フランス王が眠る:サン・ドニ大聖堂

ルイ13世のお墓はどこにあるのでしょうか。

パリの北部に位置するサン・ドニ。ここに、歴代フランス王が埋葬されている由緒ある教会「サン・ドニ大聖堂」があります。ルイ13世も、王妃アンヌ・ドートリッシュとともにここに埋葬されているのです。

アンリ4世やルイ14世、ルイ16世とマリー・アントワネットのお墓もあります。

荘厳で美しい、ゴシック様式の大聖堂です。

本来は左右に塔を持つ建造物でしたが、1837年に落雷にあい、向かって左側の塔が崩れ落ちてしまったのだとか。片側だけに高い塔を持つ外観は実にユニークです。

外観の美しさもさることながら、特筆すべきはステンドグラス。自然の光を受けて燦燦と輝き、訪れる人を温かく迎えてくれます。

高級ブランデー:レミーマルタンルイ13世

ゆかりの地ではありませんが、最後にブランデーのお話をひとつ。お酒がお好きな方なら、「ルイ13世」という名前のコニャックをご存じかと思います。

コニャックとはブランデーの一種であり、もともとはフランスの町の名前。この地域を拠点とするレミーマルタンという会社が、1874年に創業150周年を記念して売り出したのが「ルイ13世」なのだそうです。

最高級コニャックとして名高い「ルイ13世」。生前、ブランデーの販売を推奨したというエピソードが残っているそうで、そうしたところから敬意を表してこの名前を付けた、といわれています。

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