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3度に渡りカシミール地方などをめぐって争われた「印パ戦争」とは?元予備校講師がわかりやすく解説

中印国境紛争と第二次印パ戦争

1950年代、中国とインドは非同盟諸国同士で友好的な関係にありました。1959年、チベットで起きた反乱を中国軍が鎮圧し、ダライ=ラマがインドに亡命します。インドのネルー首相がダライ=ラマを支持したことから中印両国の関係が悪化しました。

1962年、中国軍は東部国境(バングラデシュの北方)と西部国境(カシミール地方)の両方からインド領に侵攻。攻撃を開始します。インド軍も防戦しますが、各所で中国軍に圧倒されました。

パキスタンはインドの窮地を好機と考え、中国に協力します。窮地のネルー首相は非同盟主義を放棄し、アメリカに支援を求めました。その後、中国軍は一方的に停戦を宣言し兵を引きます。しかし、カシミール地方の一部が中国軍によって占領されました。

1965年、インドがカシミール地方の併合を宣言したことから、インドとパキスタンの両国は再び戦争となります。米ソ両大国の仲介により、第二次印パ戦争は停戦しました。

バングラデシュの独立と第三次印パ戦争

パキスタンはパンジャーブ地方を中心とする西パキスタンとベンガル地方を中心とする東パキスタンで構成されていました。東西パキスタンはイスラム教徒が多いと言うこと以外、共通事項が少なく、言語も別です。

国家の中心となっている西パキスタンと比べ、東パキスタンが政治的にも経済的にも不利な立場におかれていました。東パキスタンの人々は、自分達はパキスタン人ではなく、ベンガル人であるという民族意識を持ち、パキスタンから分離独立しようとします。

パキスタン政府は軍を派遣し、東パキスタンを制圧しようとしました。インドは東パキスタンの独立運動を支援します。これにより、第三次印パ戦争が起きました。戦いはインド有利に進み、1971年、パキスタンは東パキスタンの独立を承認します。

印パ戦争の影響やその後の南アジア情勢

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3度にわたる印パ戦争は、国力に勝るインドの優位で終わりました。しかし、カシミール地方の領有問題はいまだ解決していません。冷戦終結後の1990年代末、インドとパキスタンの両国は核実験を実行。両国による核戦争の危機が懸念されました。2000年代、アメリカの仲介により印パ両国の関係は改善しますが、2008年にインドのムンバイで起きた同時多発テロをきっかけに、両国は再び緊張関係にとなります。

対立が続くカシミール問題

第一次・第二次印パ戦争の原因となったカシミール地方は、中国が支配するアクサイチン地方と、パキスタンの支配するギルギット地方、インドが支配するジャンムー=カシミールに三分されています。

ヒンドゥー教徒が多数を占めるインドにおいて、唯一、イスラム教徒が多数派となるジャンムー=カシミール州では、駐屯するインド軍とイスラム教を信仰する住民との間で摩擦が絶えません

2019年8月、インドの政権与党を率いるモディ首相はカシミール州に与えられた特別な自治権をはく奪する方針を表明しました。これに対し、パキスタンはインドの動きに対してあらゆる措置を講ずるとして対抗する姿勢を明確にします。

両国の対立が先鋭化すると、第四次印パ戦争が起きる可能性すらありますので、今後の情勢に注意が必要でしょう。

印パ両国の核兵器保有問題と関係改善

1974年、インドのインディラ=ガンディー政権は核実験を実施しました。これにより、インドは五大国に続いて核保有国となります。

1998年、インドではヒンドゥー至上主義を掲げるインド人民党が選挙で勝利。インド人民党のバシパイ首相は地下核実験を5回にわたって実行し核保有国となりました。

インドの核実験に反発したパキスタンは、インドの核実験の数日後に核実験を実施。インドに対抗する姿勢を明確にします。カシミール問題で対立を続ける両国が、ともに核兵器保有することで、南インド地域で核戦争が起きる可能性が高まりました

2001年、アメリカで同時多発テロが発生すると、アメリカは印パ両国に関係改善を促します。両国はアメリカの仲介を受け入れ、緊張は一時的に緩和しました。

ムンバイで起きた同時多発テロ

2008年11月26日、インド最大の商業都市であるムンバイ(旧ボンベイ)で、同時多発的に10件のテロが発生しました。犯人らは駅やホテル、旅行者に人気のレストラン、病院、ユダヤ教の施設、映画館などで同時多発的にテロ行為をおこないます。

これらのテロにより、日本人を含む172人が死亡、239人が負傷しました。インドの治安当局は、テロリストはパキスタンから入国した武装したイスラム教過激派勢力と発表。パキスタン政府に犯人引き渡しを要求します。

パキスタン政府は実行犯とされる人物たちを逮捕しましたが、インド側への引き渡しを拒否しました。これにより、インドとパキスタンの関係は一段と悪化します。印パ戦争が終結しても、対立の火種が残っていることを改めて印象付けた事件でした。

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