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即位直後のマリア=テレジアが直面した「オーストリア継承戦争」を元予備校講師がわかりやすく解説

七年戦争

フリードリヒ2世は、危機的状況を脱するためオーストリアに先制攻撃を仕掛けます。これにより、七年戦争が始まりました。

オーストリア継承戦争でマリア=テレジアと同盟していたイギリスは、勢力均衡の考え方から、プロイセンに味方します。勢力均衡とは、どちらかの勢力が圧倒的に強くならないよう、弱いほうに味方してバランスをとる外交戦略のことですね。

また、イギリスは植民地問題でフランスと対立していたため、フランスと同盟を結んだオーストリアと距離を置くのは当然のことでした。

オーストリア、フランス、ロシアに三方を包囲されたフリードリヒは圧倒的に不利。一時はベルリンが陥落するなど大苦戦を強いられます。

1761年、ロシアの皇帝がフリードリヒびいきのピョートル3世に変わったことで、包囲網の一角が崩れました。これにより、息を吹き返したフリードリヒ2世は、かろうじて戦線を維持します。

圧倒的に不利な状態から巻き返したマリア=テレジア

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オーストリア継承戦争で煮え湯を飲まされたマリア=テレジアは、圧倒的に不利な状態から巻き返し、シュレジェンやパルマなど以外のハプスブルク家領を守りきります。オーストリア継承戦争後は、外交革命で巻き返しを図り、フリードリヒ2世を追い詰めました。類まれな危機対処能力と優れた外交手腕で、マリア=テレジアの名はヨーロッパ中に響き渡ります。

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