第二次世界大戦の行方を決めた「ノルマンディー上陸作戦」の背景、経緯、その後を元予備校講師がわかりやすく解説
占領下のパリ解放
ノルマンディー上陸作戦と前後して、フランス国内ではレジスタンスの活動が活発化していました。ドイツと戦う自由フランス軍を組織していたシャルル=ド=ゴールは、ノルマンディー上陸作戦の成功後、直ちにフランスにもどりました。
ド=ゴールはヨーロッパにおける連合国軍の司令官だったアイゼンハウアーに対し、再三にわたってパリ攻略を要請します。しかし、アイゼンハウアーはパリ攻略を急ぐのはリスクが大きいとして、ド=ゴールの要請に応じませんでした。
1944年8月15日、パリ市内では地下鉄や警察がゼネストに突入。レジスタンスもパリ市内で蜂起します。こうした事態の変化を受け、連合軍はパリ進軍を決定しました。
1944年8月25日、アメリカ軍を主力とする連合国軍はパリ市内に突入。ヒトラーはパリを焦土と化すよう命令しました。命令が実行されたか気になったヒトラーは「パリは燃えているか」と何度も尋ねたといいます。しかし、現地のドイツ軍司令官はパリ破壊を行わず連合国軍に降伏しました。
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ドイツ降伏
ノルマンディー上陸作戦の敗北と、パリの陥落はドイツの西部戦線を一気に崩壊させる打撃を与えました。東部戦線ではソ連軍がレニングラード包囲網を突破。クリミア半島やウクライナ方面からドイツ軍を撤退させます。
東西からの挟撃を受け、敗報が相次ぐとヒトラー政権は激しく動揺しました。ついには、ドイツ軍の英雄であるロンメル元帥すら、反逆の容疑をかけられ自殺に追い込まれます。
1945年4月25日、西から進撃するアメリカ・イギリス軍と東から進撃するソ連軍がエルベ川で出会い、アメリカ兵とソ連兵が「エルベ川の誓い」をおこないました。「エルベ川の誓い」とは、両軍による不戦の誓いです。
1945年4月下旬、ソ連軍はドイツの首都ベルリンへの攻撃を開始。ヒトラーは徹底抗戦を呼びかけました。1945年4月30日、もはや敗北は不可避と考えたヒトラーはベルリンの総統官邸地下で自殺します。
5月8日、ベルリンは陥落し、ドイツは降伏しました。これにより、ヨーロッパでの第二次世界大戦は終結します。
ノルマンディー作戦決行の「D-day」は、第二次世界大戦終結の第一歩となった
連合軍によるノルマンディー上陸作戦の成功は、ドイツによって制圧されていたフランス解放の足掛かりとなりました。フランスの解放とソ連軍による進撃によりナチス=ドイツは追い詰められ、最終的に降伏します。「D-day」の決行は第二次世界大戦を終結させる第一歩となりました。