動乱の時代:二度の大戦とロシア革命
ロシアでは、女帝としてよく知られるエカチェリーナ2世の時代へ。時は18世紀後半、フランス革命や産業革命などヨーロッパ各地で時代の変換の足音が鳴り響く中、エカチェリーナも改革を推進。そんな中、1773年にプガチョフの反乱と呼ばれる農民反乱が勃発します。
反乱を制圧しつつ、エカチェリーナ2世はロシアの国力拡大に注力。現在も残る様々な領土問題はこの時代に端を発しているものと考えられています。
19世紀に入ると、ヨーロッパ各国では次々と革命が起こり、近代的な政治体制を持った国家が誕生。
しかしロシア帝国内部では、民主的・近代的な生活を望む一方で、自国が革命など起こしたら大変なことになるのでは……との懸念も広がっており、全体的に保守的ムードが漂っていました。
1825年、フランス革命などに影響された貴族たちを中心に、ニコライ1世即位後の混乱に乗じて革命を起こそうと奮起(デカブリストの反乱)。この反乱自体はそれほど広がりませんでしたが、これが後のロシア革命のきっかけになったといわれています。
こんな時代はもういやだ、皇帝や貴族は国を不安に陥れるだけで何もしてくれないじゃないか……ロシア国民の間にそんな思いが満ちていったことは語るまでもありません。
1905年、満を持して、ロシアのいくつかの都市で暴動が発生し、国中でストライキやデモが行われます。いわゆる「ロシア革命」の始まりです。
この革命によって、ロシア帝国は国民と向き合わざるを得なくなります。時の皇帝ニコライ2世は混乱を鎮めるため、しぶしぶ、選挙による議会の設立を許可。革命はいったんおさまります。
しかし、1914年に始まった第一次世界大戦で事態は一変。戦争によって国民は再び貧困のどん底へ。国民の不満は再び、皇帝に向けられるようになります。
1917年には再び、各都市で大規模なデモが発生。ロシア帝国に対する不満の声は日に日に高まり、ニコライ2世はとうとう退任。ロシア帝国は崩壊します。
この革命は「二月革命」と呼ばれ、ロシアを大きく変えた出来事として歴史の1ページに刻まれることとなるのです。
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