小説・童話あらすじ

5分でわかる『ロビンソン・クルーソー』あらすじや名言などわかりやすく解説

2-2.イギリス初の小説

『ロビンソン・クルーソー』は、イギリス初の小説といわれています。これまでは、宮廷ロマンスや騎士道物語などが主流でした。英米文学者として有名な、シェークスピアやチョーサーなどは、ヨーロッパの影響を大きく受けています。

デフォーは、海外の作品を翻訳したものでなく、コピーもしていません。自分の想像力をフルに使い、イギリス国民の精神を描いた初めての作家といえるのです。だからこそ『ロビンソン・クルーソー』が、ブルジョアジーたちにすんなりと受け入れられたといえるでしょう。

2-3. 簡潔で読みやすい構成

デフォーは、この作品をロンドンという大都会の喧騒の中で、孤島で生きるか死ぬかの厳しい現実と戦う作品を書いたのです。10年間は何かを書けば批判されるという、ジャーナリストとして危機的状態にあり、彼自身も孤独感に苛まれていたからこそ書けたのかもしれません。

一人称で語る回想記として構成されており、簡明直截な語り口で、孤島に辿り着き必死に生きる主人公に感情移入しやすいのが最大の魅力といえるでしょう。パワフルな行動力と理性的な精神に救われるも、無意識ながら自分勝手な姿も描かれています。

無人島に辿り着き、孤独と戦いながらどうやって生存するかを考え、物を作って生活するすべを身に着けるのです。そして島に自分の居場所を見出し、侵略者からの恐怖に怯えつつも克服し、社会を作ります。人間が孤独と恐怖の中で不可測な感情の動きに動揺する、人間臭さも読んでいて面白いところでしょう。

2-4.主人公のモデルは海賊だった?

デフォーが亡くなった後で、実在する人物がクルーソーのモデルになっていると読者の間で噂が持ち上がりました。スコットランド船「シンク・ポーツ号」に乗って海賊行為を行っていた、アレクサンダー・セルカークです。

彼は、船内でのいざこざで船長と仲たがいをして、南米チリの海岸から約600km沖にある島に置き去りにされ、4年4ヶ月もの間孤独な生活を強いられました。この話を1712年にエドワード・クックとセルカークの上司のウッズ・ロジャーズが書きました。これをデフォーが参考にしたとの説があります。

彼がモデルかどうかは定かではありませんが、銃やたばこなど島に持ち込んだものや聖書を読む生活習慣など類似点が多いとか。また、後にチリ政府によって、セルカークが漂着して暮らしたマサティエラ島を、「ロビンソン・クルーソー島」と改名しています。

3.ダニエル・デフォーってどんな人?

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不明, style of Sir Godfrey Knellerhttp://www.nmm.ac.uk/collections/displayRepro.cfm?reproID=BHC2648, パブリック・ドメイン, リンクによる

ダニエル・デフォーといえば、『ロビンソン・クルーソー』を連想し作家をイメージするのが一般的でしょう。実は、デフォーが活躍するころは大英帝国が誕生する間際の成長期で、世界相手の貿易が盛んに行われていました。デフォーは父の意に反して「貿易商」を営みますが、何度も破産を経験します。後にジャーナリストとして活躍したときは、逮捕や投獄生活などを経験しており、彼の人生は波乱万丈でした。

3-1.若き頃のデフォー

本名は「ダニエル・フォー(Daniel Foe)」です。1660年秋ごろに商人だった父親のジェームズ・フォーと母親アリスの間に誕生しました。ペストの大流行は非難し逃れましたが、ロンドン大火は体験したようです。14歳の時に、オックスフォード出身の教育者で後にハーバード大学の副学長を務めたチャールズ・モートンが開く、小さなアカデミーに入学しています。

24歳でメアリー・タフリーと結婚し、子供を授かりました。チャールズ2世の死後に起った、「モンマス公の反乱」に参加したようです。28歳の時には市政に携われる「フリーマン」の権利を取り、有望な商人として巨富を築きますが2度も破産をしています。イギリスで起った有名なクーデター「名誉革命」は、彼が29歳の時でした。

3-2.罪人からの脱出

32歳の時には、大口投資で失敗し破産しており、負債者監獄に収監されました。この借金は、一生彼を苦しめます。こんな浮き沈みの激しい生き方って、なんだか『ロビンソン・クルーソー』の主人公みたいですね!

35歳で貴族的な響きを持つ 「De」 を姓に加え、ペンネームを「ダニエル・デフォー」と付けました。43歳の時には、社会問題を取り上げた『パンフレット』を作成。内容の過激さに政治犯として逮捕され、さらし台にあげられます。でも、さらし台の慣習で誰もが汚物を投げられ蔑まれますが、彼には花や飲み物が与えられました。更に、トーリー党の幹部「ロバート・ハーレー」に救われ、彼のもとで週刊誌『レヴュー』を発行したのです。ここから、政府の広報官としての人生を歩みます。

3-3.政治活動での苦難

ハーレーは、奴隷貿易による財政再建に乗り出します。デフォーは、彼を支持し『南海貿易論』を出版しました。アン王女の後継者問題で、トーリー党からホイッグ党に政権が変わります。

残念ながら、ハーレーは反逆罪で告発されロンドン塔に幽閉されました。デフォーの立場も悪化し『レヴュー』も廃刊しますが、『ホワイトスタッフの秘史』を出版してさらし台の時の恩返しを試みます。しかし叶わずハーレーは政界を追放され、デフォーはホイッグ党下でスパイ活動の継続を条件に執筆を再開しました

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