ノルマントン号事件後、ようやく条約改正が成立したのは日清戦争前だった
結局、日本の不平等条約改正が最初に成立したのは、1894年であり、日清戦争の直前でした。日英通商航海条約が結ばれ、関税自主権が部分的に認められたのです。
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最初の条約改正は治外法権と一部関税自主権だった
駐英公使になっていた青木周三はイギリス外務大臣のキンバーリーと交渉し、外務大臣の陸奥宗光との間で1894年に日英通商航海条約が結ばれました。
この条約では、内地解放(外国人が一般市民と同じ場所に住めること)と引き換えで領事裁判権の撤廃とすべてではないものの一部関税自主権が認められたのです。日清戦争の直前であり、これによってイギリスが日本に接近したことを確認した日本陸軍は日清戦争の開戦を決定したと言われています。
ただし、帝国議会では、関税自主権に関しては100%でなかった(70%程度)ことから追求がおこなわれました。
イギリスとの通商航海条約は、そのあとアメリカ、フランス、ドイツ、ロシア、オランダ、イタリアなど14ヵ国と調印して日本は欧米大国と対等になったのです。
関税自主権の完全回復は結局1911年までかかった
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しかし、実際に関税自主権の完全な解決にはさらに17年がかかり、最終的に1911年に当時の桂太郎内閣で外務大臣だった小村寿太郎がイギリスとの間で日英通商航海条約の改定時に実現しています。
ノルマントン号事件は日本の近代化を早めた
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ノルマントン号事件は、当時の人々に治外法権の不平等の現実を認識させる事件でした。それまで、一部の政治家以外では、ほとんどの日本人は治外法権の不利を認識しておらず、条約改正については経済的に不利な関税自主権にしか目がいっていなかったのです。その意味で、早く国を近代化して、不平等条約を改正させる必要を国民に認識させたノルマントン号事件は、明治時代を大きく動かした出来事になったと言えるでしょう。
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