アメリカの歴史独立後

日本経済の転換点となった「プラザ合意」とは?わかりやすく解説

1980年代の日本の自動車輸出に対する強い圧力

そのため、日米貿易不均衡に対する話し合いが持たれ、1980年代になると、米国景気がどん底になっていたこともあり、米国の強引な交渉が始まりました。それによって、日本の自動車メーカーは、アメリカ国内での自動車の生産に踏みきることになったのです。

米国のカーター大統領による放漫財政による赤字の拡大によってインフレが発生

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景気が低迷している中で1977年初頭に大統領になった民主党のジミー・カーター氏は、財政を圧迫する社会保険(健康保険)制度の導入を推し進めました。その結果、米国の財政収支は大きく悪化し、経済政策が進まなくなり、景気低迷はさらに悪化していったのです。同時に、物価も大きく上昇し、過去にはなかったインフレ時の景気悪化(ジレンマ)を招き、市場金利は一時20%近くまで上昇しました。

インフレ対策として金利が急激に上昇、トリレンマに

米国ではカーター大統領時代の放漫財政によってインフレが発生した結果、中央銀行にあたるFRBは金利を引き上げざるを得ず、それによってドル高を招きました。その結果。米国の輸出は大きな打撃を受け、貿易赤字がかさみ、財政赤字と貿易赤字という双子の赤字に物価上昇による景気低迷というトリレンマに陥ったのです。

米国の中央銀行にあたるFRBは物価調整を最重要課題としており、物価が上昇している中ではほとんど効果的な金融政策は手を打てませんでした。また、財政悪化の中で、米国政府も財政政策として景気対策を打てず、米国の経済は悪化をたどったのです。

為替市場では金利上昇によってドルを買う動きが出てドル高へ

国際為替市場では、米国の金利が上昇したことで、ドルを買ってドル預金をする動きが強まります。為替市場では、変動相場制に移行したことで、オイルダラーが大量に流入して市場を不安定にしており、ドル円はドル高に傾きました。日本の自動車産業などの輸出企業には、日米貿易摩擦があっても、それを上回る利益が転がり込んでいたのです。

アメリカ経済はレーガノミックスで規制緩和も回復せず

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このような状況の中で大統領選挙に勝った共和党のレーガン大統領は、レーガノミックスという規制緩和による景気回復を目指しました。しかし、その効果は任期中には出てこず、米国は自身では景気回復が難しくなっていったのです。

ある意味、レーガノミックスのマネをしたアベノミックスも同じようになる可能性は高いかもしれませんね。

東西冷戦による軍事費の拡大が負担に

米国の財政赤字を拡大させたもうひとつの要因として、ソ連と米国が、東西冷戦によって核兵器を中心とした軍拡競争をしていたことがありました。両国とも、1970年代には、軍備拡張競争に耐えられる財政力を維持できず、ようやく世界的な核兵器の縮小、戦略兵器の軍縮交渉に入らざるを得なくなっていたのです。

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