室町時代戦国時代日本の歴史

「足軽」とは?足軽出身の有名人と共に歴史系ライターがわかりやすく解説

幕府や藩の下級役人になった足軽たち【江戸時代】

戦国時代が終焉を迎え、戦いのない江戸時代に入ると、次第に武士たちは幕府や藩の役人としての道を歩み始めました。足軽も例に漏れず、下級役人としての職責を担うことになったのです。

古くから徳川家に仕えていた足軽身分の者は御家人扱いとなって、城や市中の警護を担う同心番方、門番などを務めました。たとえ役職にありつけなくても相応の俸禄はもらっていたそう。

また各藩に仕える足軽身分の者は、藩の行政を支える縁の下の力持ちとして存在感を示していました。例えば彦根藩では行政機構として普請方、作事方、町方、筋方などがあって、実務をこなす役人として足軽身分の下級武士たちが活躍したのです。最も人数が多いのは彦根城の修繕を行う普請方で、それだけ労力が大きかったことを意味していますね。

明治時代になると、彼ら足軽たちの多くが士族としての身分を持つようになり、役人や官憲として引き続いて活躍していきました。

戦国時代を生き抜いた足軽たち戦場生活とは?

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By User LordAmeth on en.wikipedia Collection of The Town of Sekigahara Archive of History and Cultural Anthropology – http://www.sengoku-expo.net/flash/sekigahara/byoubu/byoubu_c.html http://inpaku02.iamas.ac.jp/sekigahara/byoubu/images/l/263.jpg, パブリック・ドメイン, Link

足軽たちの戦いや暮らしぶりを垣間見ることができる史料は、「雑兵物語」や「おあむ物語」などがありますが、合戦における主役は紛れもなく彼らでした。それでは足軽たちの戦場における生活を見ていくことにしましょう。

足軽たちはどんな武具を持っていた?

武士といっても最下級の身分でしたから、武将が着用するような立派な鎧兜は所持しておらず、一般的に簡易なものがほとんどでした。

兜の代わりに鉢巻陣笠(紙や革を使い、漆で防水加工したもの)を被り、鎧は薄い鉄板で作った簡易的なもの。中には革製の鎧もあったそうです。

自前の武具を持たない足軽のために、レンタル用として城に鎧が保管される場合もあり、現在の神戸市西区にある端谷城では、そういったレンタル用の鎧が大量に出土しています。

また足軽が戦死したら鎧などは再利用されていたらしく、戦場や城跡で刀や矢じりなどの武器が出土することはあっても防具はほとんど出土しないらしいですね。

武器に関しては、刀や防具は自前のものが多いのですが、槍や鉄砲などは支給されていました。槍の長さが不揃いだと効果が半減するからですね。

足軽たちの陣中生活とは?

籠城戦の場合では、城内に掘立建物が完備されていたので、そこで寝泊まりしていました。いわゆる小屋掛けの簡易なものですね。

ところが野戦や行軍の場合にはそうはいきません。寝るための筵(むしろ)、兵糧袋、水筒、火打石は必需品になりますから、常に携行していました。もちろん全て自ら準備せねばなりませんし、軍役とはいえ負担は大きかったことでしょう。

携行食として一般的だったのは、味噌や塩で煮た芋茎を縄状にした「芋がら縄」、疲労回復に効果があるクエン酸がたっぷりな「梅干し」、蒸した米を天日で干した「干し飯」、米や蕎麦などを固めた保存食「兵糧丸」などがありますね。いずれにしても食中毒の心配がなく、保存の効く食材が珍重されました。

「雑兵物語」の中には、こんなくだりが出てきます。

 

「敵地に行けば、何でも目につく限りのものを拾うこと。草木の実は言うに及ばず、枯葉だって馬の餌になる。松の皮はよく晒して粥にして食べても良い。

大雨や川を渡る時、首に結びつけた籾(もみ)が水を含んで芽を出す。田に植えても良いぐらいまで育ったら、葉や根と共に食べること。炊飯に用いる薪は一人一日八十匁ほど必要だが、大人数で一か所に集めれば少ない量で済む。

薪が無い時は、馬の糞の干したものを用いること。敵方の民は米や衣類を土に埋めものだ。霜が降った朝に見れば、そこだけ霜が消えているものだ。」

 

まさに戦国サバイバル。戦うというよりも生き抜くために知恵を振り絞っていたのですね。

足軽たちに褒美や褒賞はあったのか?

能力や成果次第ではもちろん褒美や褒賞もあったことでしょう。しかし、その恩恵に預かれるのはほんの一部の人間のみ。戦いに勝ち、戦意をさらに高揚させるためにはもっと手っ取り早い手段がありました。

それが【乱妨取り】というもので、敵地において略奪や人さらいなどを黙認することによって、足軽たちへの褒美代わりとしたのでした。負けた側の民衆は悲惨なものです。大事な家族を引き離され、連れ去られ、財産を奪われてしまうわけですから。

戦国大名武田氏の記録にも人身売買のくだりは出てきますし、大坂夏の陣図屏風にも乱妨取りの被害に遭う民衆たちの姿が克明に描かれていますね。戦国時代はそんなことが罷り通る時代でもあったわけです。

足軽身分から身を興した有名人とは?

image by PIXTA / 7482059

足軽という低い身分から立身出世し、歴史上に名を残した人物をご紹介していきましょう。身分制度が厳しかった時代にはそんな事例は皆無ですが、やはり戦国時代と幕末にそういった人物が多いのが特徴ですね。

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明石則実