日本の歴史江戸時代

ヨーロッパのジャポニスム旋風のきっかけとなった「浮世絵」ー元予備校講師がわかりやすく解説

美人画の名手、喜多川歌麿

喜多川歌麿は18世紀後半、田沼時代から寛政の改革の時期に活躍した絵師です。妖怪画『画図百鬼夜行』を描いた鳥山石燕に学びました。その後、役者絵や絵本などを制作していたといいます。

喜多川歌麿が得意としたのは美人画でした。歌麿の筆致は繊細で優麗と称賛されます。歌麿は版元蔦谷重三郎のもとで腕を振るいました。

歌麿の作品でよく知られているものの一つに『ポッピンを吹く女』という浮世絵があります。ポッピンとは、江戸時代に使われていたガラス製の玩具のこと。この絵は、歌麿の美人画シリーズである「婦女人相十品」の一枚です。

連作物を出せるということは、しっかりした版元がいて歌麿の絵が大人気だった証拠ですね。ほかにも、寛政中期の江戸で評判の美人3人を描いた『高名三美人』では顔をアップで描く大首絵の技法が用いられます。

理想美を追求した歌川豊国

歌川豊国は喜多川歌麿や東洲斎写楽と同じころに活躍した江戸の絵師です。豊国は理想の美しさの表現にこだわりました。豊国の出世作は「役者舞台之姿絵」という連作です。この連作は40作に及ぶ対策となりました。

その名の通り、当時の役者たちを紹介する姿絵です。背景に余計なものを描かず、役者の姿絵だけを描く技法は当時としては斬新なものでした。さらに、豊国は大首絵にも挑戦。役者や芝居の絵について一目置かれる存在となります。

役者のブロマイドともいえる浮世絵は美しさを追求する豊国にとって最も得意なものだったからでしょう。描かれる役者としても、実際の姿をありのままに描かれすぎるよりも、美化してもらったほうが広告として使いやすかったのかもしれませんね。

真に迫る役者絵を描き、後世ヨーロッパで評価された東洲斎写楽

歌川豊国と対照的な役者絵で知られるのが東洲斎写楽です。写楽の活動期間はわずかに10か月。1794年から1795年にかけてと推定されています。版元は喜多川歌麿とのコンビで知られる蔦谷重三郎。

デビュー作にもかかわらず、28枚もの浮世絵を一気に出版。世間の度肝を抜くプロデュースをやってのけます。全身写真のような役者絵を描く歌川豊国に対し、東洲斎写楽は顔のアップが印象的な大首絵で勝負をかけました。

また、写実的な筆致で役者の秦の素顔に迫ろうとします。今までの作風とは根本的に異なる画期的なプロデュースで当時、役者絵で第一人者と目された豊国に挑んだ写楽と蔦谷重三郎。しかし、結果は豊国の勝利に終わります。

敗因はニーズの読み違いでした。庶民たちは役者のブロマイドともいえる役者絵にリアリティをさほど求めていなかったからです。消費者に受け入れられなかった東洲斎写楽は忘れさられました。しかし、明治時代にドイツ人クルトが写楽を紹介すると、たちまち世界で写楽ブームが起きました。

日本を代表する浮世絵師でヨーロッパにも多大な影響を与えた、葛飾北斎

江戸後期の化政文化を代表する浮世絵師を3人あげてください。そういわれたときに、真っ先に出てくる絵師は葛飾北斎ではないでしょうか。北斎といえば、富士山をあらゆる角度から描いた『富嶽三十六景』が有名ですね。

特に、朝日に照らされ堂々とした藤を描いた『凱風快晴』や逆巻く波の圧倒的なまでの迫力に思わず見入ってしまう『神奈川沖浪裏』など、『富嶽三十六景』は名作ぞろい。

ほかにも、北斎はこの世のありとあらゆるものをひたすら描きました。『北斎漫画』では当時の江戸庶民の様子が生き生きと描かれています。

また、北斎は雅号を30回も変えました。良く知られている北斎や画狂人のほかにも月痴老人や卍など風変わりなものが多数ありますよ。

加えて、引っ越しの多さでも有名です。その数なんと93回。北斎は90歳の長命を保ちましたが、死の間際に「あと5年、寿命が延びたら本当の絵描きになれた」と言ったといいます。絵に対する執着は、まさに画狂人という雅号の通りですね。

『東海道五十三次』に代表される風景画の名手、歌川広重

北斎と同じころに活躍した歌川派の絵師が歌川広重。生まれた家が江戸の常火消しの安藤家だったので、安藤広重の名でも知られます。

広重といえば、世界に名高い「ヒロシゲブルー」の話をしないわけにはいかないでしょう。広重は青。特に藍色使いの名手です。広重の描く風景画には水が登場することが多いですが、そこでもヒロシゲブルーは効果的に使われています。

ちなみに、ヒロシゲブルーの原料は日本国産の藍ではなく、ヨーロッパから伝わったベロ藍(紺青)。その青の色彩はヨーロッパの印象派の画家に大きな影響を与えました。ヒロシゲブルーを楽しみたいなら『京都名所之内 淀川』がおすすめです。

広重の最高傑作といえば『東海道五十三次』。1833年に出版されたこれらの浮世絵では遠近法が効果的に使われました。雪の情景を描いた「蒲原」や雨の情景を描いた「床野」などは臨場感あふれる風景画だと思います。

武者絵で豪快なカッコよさを追求した幕末の絵師、歌川国芳

江戸時代末期に活躍した歌川国芳は浮世絵の一つの到達点といえるかもしれません。絵の発想の豊かさや斬新なデザイン、それらを実現するためのデッサンの技術などを兼ね備えた幕末の名絵師です。

若いころから画力を認められていながら、師の歌川豊国や兄弟子の歌川国貞の人気に押され不遇をかこっていました。

国吉の出世作が『通俗水滸伝豪傑百八人』。中国の古典で日本でも広く読まれていた『水滸伝』の英雄たちを描いたシリーズものです。国吉が描く英雄たちは豪快で格好がよく、躍動感あふれていました。

こうした英雄や武人を描く「武者絵」に国吉の斬新さや派手さはとてもマッチしていたのでしょう。

国吉はたちまち人気絵師の仲間入りをします。現代でも、三国志や水滸伝の英雄たちは人気がありますから、題材もよかったのでしょうね。

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