元禄時代の歌舞伎
元禄年間 (1688年~1704年) を中心とした約50年間におこなわれた歌舞伎のことを、「元禄歌舞伎」といいます。それまでの歌舞伎は歌や舞を主とするものでしたが、元禄歌舞伎は演劇の形へと変遷していました。初代・市川團十郎や初代・坂田藤十郎も、この時期に活躍した歌舞伎役者なのです。浄瑠璃の作者として有名な近松門左衛門は歌舞伎作者としても活躍しており、初代・坂田藤十郎のために狂言歌舞伎を作っています。
歌舞伎には「立役(男性の役であり善人)」、「敵役(男性の悪人)」、「女方」、「道外方(どうけがた)」、「若衆方」などの7つの役柄があるのですが、1680年ごろにはこれらがすべて出そろいました。また、1644年(正保元年)に実在している人物の名前を使うことが禁止され、1703年(元禄16年)には当時起きた異変を脚色した歌舞伎が禁止されました。後者は風刺作品の禁止とも言い換えられますね。しかし、名前を少し変えたり時代を変更したりして、「現実」を諦めずに描いていたようです。
享保以降の歌舞伎
元禄歌舞伎の時代にゆるやかでありながらも変化があった歌舞伎ですが、享保年間(1716年~1736年)~寛政年間(1789年-1801年)にはさらに発展が見られました。実はこの時代までの歌舞伎は屋外でおこなわれていたのですが、1718年(享保3年)、舞台に屋根が設置されました(享保2年の説もあり)。屋内化により、屋外では難しかった宙乗り(ワイヤーで空中に浮かぶ)や暗闇が盛んにおこなわれるようになったのです。そのほかに「花道」、「せり上げ」や「廻り舞台」もこの時代から使用がはじまったと考えられています。
歌舞伎の「三大名作(三大歌舞伎)」。延享年間(1744年~1748年)に作られた「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」、「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の3作品です。これらはすべて人形浄瑠璃から移入されたもの。歌舞伎と人形浄瑠璃はたがいに影響をあたえあいました。
文化文政時代以降の歌舞伎
京や大阪が中心だった歌舞伎ですが、この文化・文政年間(1804年~1830年)には四代目鶴屋南北によって江戸で多く作品が作られました。ここに全盛期をむかえたに見えた江戸歌舞伎ですが、天保の改革や南北の死去、また人気役者の死去によって一時かなり衰退してしまいます。天保年間(1830年~1843年)におこなわれた天保の改革では風俗の取り締まりがなされ、歌舞伎が弾圧を受けたのです。7代目市川團十郎が江戸から追放されたり、江戸三座と呼ばれる芝居小屋が浅草の聖天町(猿若町に改名)に移転させられたりしました。
しかし、江戸三座が一箇所に集まったことで小屋同士での役者の交換が容易になりました。そして江戸であったような火災被害も減少し、江戸歌舞伎は逆境のなかふたたびの全盛期をむかえることになったのです。
明治~昭和の歌舞伎
歌舞伎がだんだんと確率していった江戸時代がおわり、明治時代が到来しました。江戸時代には「現実を描いてはならない」とされていた歌舞伎ですが、明治時代は政府から「作り話を廃止せよ」と要求されたのです。また、高い身分の人や外国人向けの内容にせよとの要求もありました。庶民の楽しみでもあった歌舞伎ですから、困ってしまいますよね。しかし、政府が歌舞伎を弾圧したかというとそれもちがいます。天覧歌舞伎(天皇による歌舞伎鑑賞)や演劇改良会によって歌舞伎役者の地位向上を助けたのです。
1889年(明治22年)には銀座に歌舞伎座が建てられました。江戸三座はこれに対抗して千歳挫(現在の明治座)とともに「四座同盟」を結成しますが、火災などによってだんだんと廃座になっていきます。1932年(昭和7年)、最後に残っていた市村座の焼失によって江戸三座はすべてなくなってしまいました。19世紀末からは新歌舞伎というジャンルが確立。時代の潮流にあった作品が作られるようになりました。
そして現代へ
太平洋戦争が激しくなると、歌舞伎の劇場が閉鎖されたり、演目が制限されたりするようになりました。そして終戦後には、GHQによって「仇討ち」や「身分社会肯定」の演目の上演が禁止されます。しかし後にGHQのなかから文化保護の声が出て、古典的演目について制限がなくなりました。
日本が独立し、生活に余裕が出てきた1950年代。これまで娯楽のおおきな部分を占めていた歌舞伎ですが、プロ野球、映画など娯楽が多様化していきます。そのような時代の動きのなかでも、1960年代に歌舞伎は人気を回復。歌舞伎本来の様式が重視されるようになります。一方で新しい演出の模索など、さまざまな試みがおこなわれるようにもなりました。
歌舞伎はこれからも続いていく
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1965年(昭和40年)には重要無形文化財に指定された歌舞伎。現代で演じられるということは、変化していく部分もあるということ。最近はアニメを歌舞伎にするという演目もありましたね。伝統芸能でありながら現代を生きている歌舞伎の今後が、これからも楽しみです。