その他の国の歴史

世界三大美女に「クレオパトラ」「楊貴妃」「小野小町」を挙げるのは日本人だけ?

中国一の美人は楊貴妃ではなく虞美人という説

名前に「美人」と入っているのでまず間違いはないと思います。

紀元前200年頃、中国大陸をおさめていた秦の末期。虞美人とは、後に漢王朝の祖となる劉邦と覇権を争った楚の武将、項羽の愛姫です。司馬遼太郎の小説「項羽と劉邦」で知っている人も多いでしょう。

虞美人は愛称だと思われますが、正式な名前ははっきりしていません。また、どういういきさつで項羽と知り合ったのかについても、詳しいことはわかっていないようです。ただ、戦いの最中でも項羽のそばには常に虞美人がいて、項羽が虞美人を放すことはなかったと、「漢書」などの歴史的文書の中に記述が残されています。

劉邦との争いに敗れ、追い詰められて四方を取り囲まれたとき(四面楚歌)ときも、項羽のそばには虞美人の姿がありました。

若き指導者の傍らに寄り添う女性の姿。誰もが美貌の女性を思い浮かべるはずです。2000年以上も古い時代のこと、女性の容姿を記す資料はほとんどありません。どんな女性だったか確かな資料がないので想像するよりほかありませんが、だからこそ、多くの人に「絶世の美女だったのでは?」と思われるようになったのかもしれません。

「世界三大美女」とは「世界の歴史に影響を及ぼした魅力ある女性」

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近年の研究では、クレオパトラも楊貴妃も、さほど美女ではなかったかも、といわれています。勝手な想像になりますが、クレオパトラも楊貴妃も小野小町も、現代でいう「ツンデレ」な女性だったのかもしれません。男性に媚びる必要なく、自分自身で運命を切り開いていける勇気と行動力があったから、そんな彼女たちに、男性陣は余計に興味を示し、固執したのかもしれません。美しいだけでなく知性やバイタリティにあふれていたと考えられる世界三大美女。学ぶことが多いです。

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