イギリスの日本に対する警戒によって日英同盟の終焉
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しかしここに至って、イギリスも日本を警戒するようになってしまいます。本来、日英同盟では、戦争が起きた場合には中立を維持することになっており、中国のドイツ植民地を奪い取ろうとする名目に使われたからです。中国への進出が出遅れていたアメリカも、事前に日本の中国大陸進出に対する警戒が強まります。第一次世界大戦中にはアメリカ国務長官ランシングは日本に対してこれまでの中国への進出を越えることのないように交渉をおこなおうとしました。
しかし、日本はそれに反して中国への進出をおこなったことから、アメリカ、イギリスの警戒心を呼び覚ましたのです。
ヴェルサイユ会議で日英同盟は解消された
第一次世界大戦後の講和会議となったヴェルサイユ会議では、イギリスはアメリカと協力して中国大陸における日本の領地拡大を押さえる政策をとりました。同時に日英同盟もヴェルサイユ会議で国際講和ができたことを理由に解消されることになったのです。
それ以降の1920年代のワシントン会議などの国際軍縮会議では、アメリカとイギリスは日本の軍備拡大を押さえるよう進めました。
日本は幣原平和外交で国際強調を優先
それに対して、日本の軍部を中心に反対の声が強まったが、当時日本外交を取り仕切った幣原外務大臣は強調外交に舵をきり、英米の要求を飲みます。そのため、1920年代は国際的には比較的平穏な時代となりました。しかし、それが軍部に不満を蓄積させ、1930年代の陸軍、特に中国に進出していた関東軍の暴走を招くことになってしまったのです。
日英同盟は短い間の条約だったが日本が得るものは大きかった
日本とイギリスの同盟関係はわずか20年に満たない期間で解消されています。現在の日米同盟のように、70年近くにわたって続いている同盟はむしろ珍しいと言えます。日本とソ連の不可侵条約も15年を持たずに、ソ連に一方的に破棄されているのです。
しかし、日英同盟によって日本は国際的な先進国の仲間入りへと歩みを進めることに成功していました。短かったが、その同盟結果は素晴らしい結果をもたらすことができたのです。
条約が国際ルールとして永遠と勘違いする愚かさ
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現在の日米同盟が、日本の繁栄と安全保障上で大きな貢献をしたのは状況は事実です。しかし、この同盟が当たり前のもので、永遠に続くと思っているとすれば、大きな間違いと言えるでしょう。永遠に続く同盟などはあり得ません。常に先を見ながら、環境変化を見据えていく冷静な目の必要性が現代では課題なのです。