人類が唯一根絶に成功した感染症「天然痘」元予備校講師がわかりやすく解説
天然痘にかかった有名人
天然痘にかかった有名人は藤原四子だけではありません。有名な戦国大名、伊達政宗も子どこのころに天然痘にかかっています。政宗の場合は痘瘡が目にでき、右目の視力を失いました。
時代劇で政宗が右目に眼帯をしているのはそのためです。もっとも、政宗本人は右目を失ったことを気にしていたため、彼の肖像画は両目が健眼であるように描かれているものがありますよ。
ほかにも東山天皇や『日本書紀』を編纂した舎人親王、幕末の孝明天皇まで天然痘による死を疑われている人は多数います。
中には、フランスのルイ15世や清の順治帝など世界の帝王も天然痘の前では無力でした。天然痘が発症すると、これといって有効な対策がないのは現在も同じです。かかってしまえば、一般人であれ、権力者であれ、等しく死の危険にさらされる恐ろしい病でした。
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天然痘の克服と根絶
有史以来、多くの人々の命を奪ってきた天然痘。18世紀の後半、ついに人類は天然痘に対抗する手段を見出します。発見したのはイギリスで生まれたジェンナーでした。ジェンナーは種痘法を開発し、予防接種の概念を確立します。また、日本では緒方春朔がジェンナーと同じようにして種痘法を開発しました。種痘の開発により天然痘は「かからないですむ」病気になり、20世紀に天然痘の撲滅が宣言されます。
ジェンナーの種痘法
天然痘は一度かかって回復すると、免疫を獲得し再度感染する確率が激減することは古代から知られています。そのため、乾燥させて弱毒化させた天然痘患者の膿を健康な人に接種させ免疫を獲得する方法が古代インドなどで実践されました。
この方法を人痘法といいます。人痘法はイギリスやアメリカでも実施。しかし、弱毒化したといっても天然痘そのものを感染させる方法のためリスクはあり、接種した人が天然痘で死亡する例もありました。
そこで、イギリス人のエドワード=ジェンナーは天然痘の近縁種である牛痘という病気に着目します。牛痘は人に感染することもありますが、症状は軽微。しかも、回復すると天然痘に対する免疫も獲得することができました。
18世紀末、ジェンナーは8歳の少年に牛痘を感染させ、その後に天然痘の膿を接種させても感染しないことを実証します。
パスツールによる予防接種の確立
ジェンナーに対する種痘法の確立は、病気にかかる前に免疫を獲得させる予防接種の確立へとつながります。ジェンナーが天然痘で成功した方法が、ほかの病気にも有効であることを証明したのがフランスのパスツールでした。
パスツールは狂犬病やニワトリコレラ、炭疽病などでも弱毒化した病気の原因となるもの(抗原物質)を投与することにより、免疫を獲得させる方法が有効であることをつきとめます。
パスツールは人間には免疫という体を守るシステムが存在することを実験によって証明したといってもよいでしょう。
弱い病気にかかることで、似た強い病気にかからないで済むという免疫の仕組みを最大限利用したのが予防接種です。現在、日本では「予防接種法」に基づいて定期的な予防接種が行われていますよ。
日本のジェンナー、緒方春朔(おがたしゅんさく)
日本で天然痘予防の方法が確立されたのは江戸時代の中頃から後半にかけてのころです。現在の福岡県南部にあたる筑後国にあった久留米藩の医師、緒方春朔は秋月藩の藩医でした。
天然痘は日本でも猛威を振るう恐ろしい病。春朔は天然痘の流行を食い止めたいと、医学書を読み漁りました。そして、たどり着いたのがインドや中国で実施されていた人痘法です。
天然痘患者から採取した膿を使って免疫を獲得させる方法でしたが、なかなか、実践する機会に恵まれませんでした。1793年、秋月藩で天然痘が流行。その際、春朔は天然痘患者の膿を採取します。
庄屋の天野甚左衛門は、自分の子供で人痘法を試すよう春朔に提案。天野の二人の子供を使って実証実験を進めました。その結果、人痘法が天然痘予防に有効であることを証明します。春朔はこの方法を秘密にせず、知りたいものに分け隔てなく教えました。