日本の歴史

人類が唯一根絶に成功した感染症「天然痘」元予備校講師がわかりやすく解説

かつて、多くの人々を恐れさせ多数の死者を出した感染症がありました。天然痘です。天然痘は20%から50%にも及ぶ致死率を誇る感染症で、完治しても「あばた」を残すため、人々に忌み嫌われます。しかし、天然痘は1980年に根絶が宣言されました。今回は、古代から多くの人々におそれられた感染症である天然痘についてわかりやすく解説します。

天然痘とは

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紀元前から存在したといわれ、現在は撲滅された感染症である天然痘はどのようにして人々に感染し、感染後の症状はどのように経過するのでしょうか。天然痘ウイルスに感染する経路や症状についてまとめます。

原因ウイルスと感染経路

天然痘はボックスウイルス科に属するウイルスの一種。天然痘は、このウイルスによって引き起こされます

ウイルスの大きさは200から300ナノメートル。ノロウイルスの大きさが27から37ナノメートル、インフルエンザウイルスの大きさが100ナノメートルであることを考えると、ウイルスとしては大きめの部類ですね。

天然痘の特徴の一つは非常に強い感染力です。主な感染経路は飛沫感染。感染者のくしゃみや体液などに含まれる天然痘ウイルスが口や鼻、咽頭粘膜などに入ることで感染します。

空気感染もしますが、飛沫感染に比べると希です。寝具や毛布からの感染例もありますが、これも少数例。つまり、天然痘の患者と近い距離で接触した人が次の感染者になると考えればわかりやすいでしょう。

天然痘の症状

天然痘は飛沫感染や接触感染によって感染します。潜伏期間は1週間から2週間程度。その後、天然痘の症状が発症します。

初期症状は40度前後の高熱と頭痛・腰痛など。高熱は発症から3~4日後に収まります。そのころから、顔や頭に豆粒上の発疹である丘疹が生じ、それが全身へと拡大。

発症から1週間程度で再び高熱に見舞われます。この時の症状が最も重症。呼吸器、消化器などの内臓にも病変が現れ、肺が損傷することで呼吸困難を起こします。その結果、死に至ることも珍しくありませんでした。

2度目の高熱を乗り切ると快方へと向かいます。しかし、顔や体の各所に痘痕(あばた)を残すので、人々は天然痘を忌み嫌われました。患者にできたかさぶたには天然痘ウイルスが含まれており、かさぶたからも感染するので注意が必要です。

天然痘の歴史

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致死率が高く、しかも、治癒してもあばたを残す天然痘は人々に恐れられた感染症でした。そのため、世界各地で天然痘に関する記録が残されています。日本に天然痘が入ってきたのは飛鳥時代。仏教の日本到来と同じころだったので、仏教が疱瘡の原因だと非難されることもありました。また、天然痘の免疫を持たなかったアメリカ大陸の人々は天然痘によって大打撃を受けます。天然痘は老若男女、貴賎を問わず広まり多くの有名人が命を落としました。

日本に渡来した仏教と天然痘の関り

5世紀から6世紀に懸けて、中国や朝鮮半島から多くの人々が日本にやってきました。彼らのことを渡来人といいます。渡来人は最新の技術や学問を日本にもたらしました。その一つが仏教です。

渡来人たちと強く結びついていた有力豪族の蘇我氏は、渡来人たちが信仰していた仏教を日本でも広めようとしました。物部氏など、日本古来の神を信仰していた人々はこの動きに反発します。

ちょうどそのころ、天然痘が大流行。物部氏らは「神の怒り」だとして仏教推進に反対。蘇我氏の発言力は一時的に弱まりました。

また、奈良時代にも天然痘が大流行します。藤原不比等の四人の子である藤原四子が天然痘によりあいつで死去。政権の中枢にいた藤原四子の死で政界が混乱しました。

聖武天皇奈良の大仏を建立しようとした理由の一つがたびたび流行する天然痘の厄を払うことです。天然痘と仏教の意外なかかわりですね。

南北アメリカ大陸に持ち込まれ、猛威を振るった天然痘

17世紀、大航海時代に入るとヨーロッパ人たちが世界各地を植民地にしていきました。中でもスペインはアメリカ大陸に進出します。ヨーロッパ人たちが南北アメリカに持ち込んだものの一つが天然痘でした。

南北アメリカの原住民であるインディアン・インディオらは天然痘への免疫を全く持っていませんでした。そのため、多数の原住民が天然痘によって命を落とします。

メキシコを支配していたアステカ王国では国王が天然痘のため死去。ペルーを支配していたインカ帝国でも皇帝や皇太子が死去し大混乱します。

結果的に、天然痘の流行はヨーロッパ人たちの南北アメリカの征服を容易にしました。征服前には2500万人以上いた原住民がわずか100万人程度まで激減したともいわれます。

天然痘だけが人口減少の理由ではないと思いますが、天然痘の致死率や感染力を考えると、死者の中に多くの天然痘患者がいたことは想像に難くありません。

疱瘡神として恐れられ、祀られた天然痘

疱瘡(ほうそう)とは、天然痘の別名です。疱瘡神とは、天然痘を擬人化した神で疫病神の一種でした。ウイルスについての知識を持たなかった昔の人々は、天然痘は疱瘡神の仕業と考えます。

疱瘡神は犬や赤を苦手とする伝承がありました。いくつかの地域では犬の人形や赤いものを「疱瘡神除け」として祀り、天然痘にかからないことを願います。

疱瘡神除けとして、子供用の赤い玩具や下着、置物などを置いて子供が天然痘にかからないよう願いました。親たちの切実な願いが伝わってきますね。

恐ろしい病気である天然痘を「疱瘡神」として祀り上げた理由は、神として敬うから症状を軽くして命を助けてほしいという気持ちがあるのかもしれません。天然痘をもたらす疱瘡神を「敬して遠ざけ」たかったのでしょうね。

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