室町時代戦国時代日本の歴史

信長と家康を苦しめた「一向一揆」とはどんな勢力?わかりやすく解説!

越前一向一揆

こうして長島一向一揆は鎮圧されましたが、一難去ってまた一難。今度は朝倉家の本拠地であった越前にて一向一揆が起こることになります。信長は1573年に朝倉家を滅ぼすのですが、その後この越前に入った領主が気に食わなかったこともあり、越前に一向宗の門徒が侵攻。越前国を領国化にすることに成功します。

しかし、越前に入った浄土真宗の僧侶が何かとやりたい放題だったこともあり、一向一揆勢は分裂。ここに来て一向一揆の弱点が出てしまい、織田軍によって鎮圧されることになります。

その後、総本山であった石山本願寺も兵糧攻めにあい、頼みの綱であった毛利水軍が第二次木津川口の戦いにて破れると正親町天皇の仲介もあって和睦。顕如は石山本願寺から退去して石山戦争は終わりを迎えたのでした。

一向一揆の終わり

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織田家との戦いに敗北した本願寺。

本願寺はその後石山からは撤退するのですが、布教自体は信長には向かわなければ自由とされていたため移転先の紀州の地にて細々と布教を行っていくようになります。

その後は石山からほど近い天満の地に秀吉から領地を与えられ天満本願寺を創立。

しかし、一向一揆への対応なのか秀吉は独自の行動を厳しく制限をして本願寺の権力をどんどん削ぎ落としていきます。

その後1592年に顕如が亡くなると、石山本願寺退去時に信長に対して強硬派の姿勢を見せ長男の教如が無理矢理隠居に追い込まれてしまい、代わりに三男であった准如が本願寺のトップに就任することになりました。こうしてどんどん本願寺が分裂していく中、豊臣秀吉の後に天下統一を成し遂げることになる徳川家康によって京都七条に寺領が教如と准如どちらにも与えられ、教如の方は大谷山東本願寺、准如の方は龍谷山西本願寺として分裂して今に至っています。

刀狩りの実施

1582年に織田信長が亡くなった後に力を持った豊臣秀吉は1585年から断続的に刀狩りを行なっていく様になります。

刀狩りとは要するに農民たちが武器を持てなくする命令のことでこれによって農民たちは武士との身分が区別化されることになりました。

こうして一向一揆なんぞ起こせなくなってしまった農民たちはここから先違う形で一揆を起こしていく様になるのでした。

一向一揆は戦国大名を脅かした存在だった

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一向一揆は各地で起こり、そして各地の戦国大名を脅かした存在で、日本における宗教戦争の代表格として今に伝わっています。

一向一揆はまさしく日本の歴史を大きく変えた一揆だったのですね。

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