小説・童話あらすじ

【考察】森鴎外『舞姫』主人公・豊太郎の行動、あなたはどう考える?

あらすじ5 エリスに帰国が伝えられる~結末

数週間後豊太郎が目を覚ましたとき、エリスの様子はすっかり変わってしまっていました。痩せこけて、精神的にまいってしまっていたのです。相沢がエリスにすっかり事の次第を話してしまったそう。それを聞いたエリスはパニックとなってしまい、落ち着いたあとももとに戻ることはありませんでした。豊太郎は相沢と相談のもとエリスの母親へお金を渡し、またいずれ生まれてくる子供のことを頼み、結局大臣と日本へ帰国することに。相沢を良い友人だと思う豊太郎でしたが、彼のことを憎む心が今でも残っているのでした。

『舞姫』、登場人物たちのモデルとは?

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『舞姫』に登場する人物で主だった存在は、主人公・太田豊太郎、恋人・エリス、友人・相沢謙吉、大臣の天方伯爵といったところでしょう。ノンフィクションではなくて小説ではあるのですが、一部の人物にはモデルがいると言われています。

太田豊太郎のモデル

主人公の太田豊太郎がドイツに留学した先での出来事が、『舞姫』の主なストーリーですよね。実は作者である森鴎外自身も、豊太郎のように法学を目的とはしていませんが、医学(衛生学)を目的として1884年にドイツへと留学していたのです。当時のドイツには同じく日本から来ていた同世代の友人がおり、学問も文化的交流も充実した日々を送っていたそうですよ。そして特筆すべきはドイツで出会った女性の存在。鴎外もドイツでラブロマンスを経験していたのです。このドイツ人女性についてはエリスのモデルの項でくわしく説明します。完全にそのままの出来事を『舞姫』としたわけではないと思われますが、これらの経験を基にして執筆された可能性はかなり高いと言えるでしょう。

またもう一人、豊太郎のモデルではないかと考えられている人物が存在します。それは埼玉出身の軍医・武島務(1863年~1890年)です。1886年にドイツへ留学。鴎外ともドイツで親交がありました。実家からの仕送りを担当していた者が着服をし、務はそのことで批難を受けて結果的に免官となります。その免官の出来事からわずか3年後、結核によって亡くなってしまいました。豊太郎が仲間によって免官となる、という点は彼をモデルにしていると思われます。

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エリスのモデル

豊太郎のモデルの項でも少し触れましたが、鴎外がドイツで出会ったドイツ人の女性が、エリスのモデルなのではないかと言われています。彼女の名前は、エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト(1866年~1953年)。ドイツ留学時代の鴎外と恋人関係にあったようです。1888年に鴎外は日本へ帰国するのですが、エリーゼは日本へ来日もしているんですよ。しかし、エリーゼと鴎外の交際は終わりを迎えてしまいます。『舞姫』作中のエリスは精神を壊してしまいましたが、モデルであると考えられているエリーゼはその後ほかの男性と結婚して家庭を築き、86歳まで生きていらっしゃったそうです。

相沢謙吉のモデル&天方伯爵のモデル

豊太郎の親友にして、作中では憎むべき相手でもあった相沢謙吉のモデルは賀古鶴所(かこつるど)(1855年~1931年)ではないかと考えられています。彼もまた鴎外と同じく医師でした。そして歌人という文学にたずさわる一面も持っていたのです。鴎外とは大学医学部での出会い。「常磐会(じょうばんかい)」という短歌の会を鴎外とともに結成するなど、親友と呼んで良い存在だったようですね。鴎外の代表作のひとつ、『ヰタ・セクスアリス』には古賀鵠介(こがこくすけ)という登場人物が出てくるのですが、こちらは名前からしても賀古をモデルにしていることは確実でしょう。

一方、豊太郎が日本へ帰国するきっかけを作りだした一人である、天方伯爵(大臣)。彼のモデルは内閣総理大臣をつとめたこともある山県有朋(やまがたありとも)(1838年~1922年)ではないかという説があります。山県有朋は、賀古と鴎外らの短歌会「常磐会」の支援者でもありました。「やまがた」と「あまかた」で名前も少し似ていますね。

『舞姫』解釈のポイント!

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『舞姫』は小説ですから、さまざまな解釈があって然るべきです。主人公に対する見方も人によってさまざまあることでしょう。ここからは私自身の考えも交えつつ解釈のポイントをお伝えしますので、みなさん自身がする解釈の参考にしていただければと思います。

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