日本の歴史飛鳥時代

天武天皇即位のきっかけとなった「壬申の乱」を詳しく解説!

天武天皇以降に天皇親政時代が続く

大化の改新以前は、大王家と呼ばれた朝廷を豪族たちが牛耳っていました。それを正そうとした聖徳太子も、朝廷から離れざるを得なくなり、その息子である山背大兄(やましろおおえ)皇子も蘇我氏に滅ぼされてしまいます。

そのような状況を見ていた中大兄皇子と中臣鎌足が、天皇親政の中国の朝廷にならった朝廷組織を目指して蘇我氏を討伐(クーデター)したのが、大化の改新でした。大化の改新以来の、悲願である天皇親政による朝廷は、天武天皇によってようやく完成したのです。

そして、天武天皇の後も、鸕野讃良皇女が持統天皇として即位し、舒明・皇極天皇の大王家が天皇位を引き継いで、その一族で朝廷を運営する天皇親政時代が奈良時代半ばまで続いていきました。

律令国家として確立し、日本書紀などの国書編纂にも取り組む

天武天皇の御代では、完全な実現はできませんでしたが、次の持統天皇の時代には、日本書紀などの国書編纂にも取り組み、本格的な大型都城制の都の走りとなった藤原京を建設したりして、日本という国は律令国家として成立していったのです。

そのきっかけは、大化の改新と壬申の乱であったと言えます。大化の改新はきっかけにはなったものの、豪族たちの力が強く、思うような改革はできませんでした。しかし、壬申の乱では、朝廷を牛耳ろうとしていた豪族たちを敗北に追い込んだことから、天武天皇は、自由に天皇親政の政治を実行に移すことができたのです。その権力を受け継いだ持統天皇らによって本格的な律令政治が実現しました。

この時に成立した、本格的な天皇制は今の時代まで続いているのです。

日本の天皇制は7世紀の壬申の乱によって確立した

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日本の現在の天皇制は、本当の意味で確立したのは、やはり壬申の乱後だったと言えます。それ以前は、天皇は大和の豪族たちの意向で決められ、継体天皇の時代には一度皇統は実質的に途絶えていました。しかし、壬申の乱以降は、現在の天皇家の直系の子孫が皇統を受け継ぐようになったのです。南北朝時代などもありましたが、基本的には皇統は保たれてきました。これは、世界でもまれな例で、ヨーロッパでも見当たりません。それ故に、第二次世界大戦で敗れても、GHQは日本という国を維持させるために、天皇制を廃止することはできなかったのです。

この貴重な天皇制は日本の根本になっています。

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