日本の歴史昭和

経済成長の影の部分である公害と日本を揺るがした四大公害病について解説

#7 地盤沈下

日本における工業地帯は主に加工貿易という形態がとられているため船で運べるように臨海部に建てられることが多い傾向にありました。しかし、臨海部の地域は地盤があまり強くなく工場などを立てると地盤が傾くということがありました。さらに工場の運業に地下水を組み上げると粘土層が一気に収縮して地盤が沈み、それに伴って水道管の破裂や建造物の崩壊などを招くこと可能性があります。

どうして四大公害病が起こってしまったのか?

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こうして日本に被害を及ぼした公害でしたが、特に規模が大きく日本でも大問題として取り上げられたのが水俣病・新潟水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそくの4つの公害病いわゆる四大公害病でした。

この四大公害病が起こった1960年代には公害や環境のことを気にせずに高度経済成長という日本の経済が一気に向上していく最中、工場をフル稼働させたり増設したりして周りの住民を苦しめていたのです。

要するに四大公害病というのは日本人の公害に対する配慮がまだまだ不足していた時に起こってしまった悲劇であったということなんですね。

水俣病

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おそらく四大公害病の中で一番知名度が高く、日本の公害問題の最たる例となったのが熊本県の水俣で起きた水俣病ではないでしょうか?

水俣病は1953年から症状が出て行き最終的には2000人以上の方が水俣病と診断されるようになりました。

水俣病の原因

水俣病が起きてしまった理由は水質汚濁。上でも挙げたように水質汚濁によって工場の排水が海に流れ有害な物質が魚の中に取り込まれていったのですが、水俣病の場合だとメチル水銀という物質が水俣湾の魚や貝などが取り込まれていったのです。

この水俣病を引き起こした張本人はチッソという会社なんですがこの会社はビニールなどの製品の原料であるアセドアルデビドという物質を作る会社だったのですが、このアセドアルデビドという物質を作るためには硫酸水銀という物質を大量に使わなければなりません。硫酸も水銀と人間の体に取り込まれてしまえば害を及ぼしてしまう可能性があるとても危険な物質。

しかし、チッソはこの硫酸水銀から生まれたメチル水銀を何の対策もせずに海に流し、その水銀がプランクトンに取り込まれ、そしてそのプランクトンを魚が食べ、そしてそのプランクトンを食べた魚を人間が食べるという食物連鎖が起こってしまいました。

さらに生物の体の特徴として食物連鎖の過程では取り込んだ物質は濃縮されるようになります。これを生物濃縮というのですが、この濃縮が行われたことによってさらに被害を増大させることとなったのです。

水俣病の発見と被害

生物濃縮によって有害な物質が高く含まれている水俣湾の魚を摂取することによって水俣病は引き起こされたのですが、水俣病が出現したの1953年。この頃魚を餌にしていた猫がたちまち病気になる頃から異変が確認され、さらに人間が水俣湾の魚を食べたことによってメチル水銀によるメチル水銀中毒症にかかってしまいました。

このメチル水銀中毒は患ってしまうと脳に重大なダメージが及んでしまい、その結果手足の震えに始まり耳が聞こえづらくなったりや失明、言語の障害などの被害を招いてしまうことになります。

最終的に1956年に水俣病は正式に公害病として認められるのですが今までに水俣病にかかったと認定されたのは約2300人ほど。さらに認定されていない人も含めると総勢10万人に被害を出すとも言われています。

新潟水俣病(第二水俣病)

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こうしてにわかに問題になり始めた水俣病でしたが、実は水俣病と同じような病気は新潟県でもはやることになりました。

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