日本の歴史昭和

アメリカ軍占領下の沖縄が日本に復帰した「沖縄返還」をわかりやすく解説

沖縄返還による影響

沖縄が日本に返還されたのち、通貨はドルから円に切り替わりました。復帰直前に起きたニクソンショックによりドルの価値が急落した時は、ドルを持っていた沖縄住民から不安の声が上がります。

日本政府は1ドル305円での交換と定め、差額は政府が補填することとしました。しかし、通貨交換に対する不安に便乗した値上げなどにより、急激な物価上昇が起きます。

また、アメリカ軍沖縄基地では基地従業員として働いていた多くの沖縄の人たちが解雇されました。これはベトナム戦争により財政が悪化したアメリカによる基地合理化の一環です。基幹産業が観光とアメリカ軍基地の雇用以外になかった沖縄の人々にとって大量解雇は大きな痛手になりました。

復帰記念事業の開催と首里城復元

1972年の沖縄返還以後、沖縄の日本復帰を記念したイベントが次々と開催されました。復帰した年の1972年には復帰記念特別植樹祭を開催。翌年には、沖縄特別国体(通称、若夏国体)が沖縄県内で開催されます。通常の国体と異なり、選抜された一部の選手のみで行われるミニ国体でした。沖縄での正式な国体は1987年の海邦国体まで待たねばなりません。

1975年、記念事業の一環として沖縄国際海洋博覧会が開催されます。海洋博の開催に伴い、交通機関や宿泊施設などを急ピッチで整備。しかし、来場者数は目標に達せず県民からは落胆の声が聴かれました。

海洋博の会場跡地には「沖縄美ら海水族館」が建てられ、人気の観光スポットとなっています。また、沖縄戦などにより破壊された首里城の復元も進められ2000年には首里城跡が世界遺産として登録されました。

普天間基地問題

1995年、沖縄で起きた少女暴行事件をきっかけに、米軍基地の縮小を求める運動が激しくなりました。特に、宜野湾市の市街地にある普天間飛行場は航空機の離着陸に伴う危険度が高いことからも返還を強く希望されます。

2004年におきた沖縄国際大学アメリカ軍ヘリ墜落事件は普天間基地返還要求をより強める結果となりました。日米両政府は普天間基地の移設について協議。県内の名護市辺野古への移設を決定します。

2009年、鳩山由紀夫内閣が辺野古移設を再検討すると表明しました。しかし、2010年には結局、辺野古への移設へと議論が回帰。アメリカ軍の合意に基づき名護市辺野古に移設しようとする日本政府と、県外移設を求める沖縄県の主張の溝は埋まらないまま今日に至っています

沖縄は日本に復帰しても、アメリカ軍基地も問題は未解決なまま

image by PIXTA / 13137535

1972年の沖縄返還により、沖縄は日本へと復帰することができました。しかし、沖縄の人々が望んだ「核抜き、本土並み」の返還はいまだに達成されていません。核については不透明さが残り、広大なアメリカ軍基地が市街地にも残っている沖縄は「本土並み」とは言い難い状況です。日米安保の維持のため、沖縄には大きな負担がかかっていることを忘れるべきではないでしょう。

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